●午後、書き直した原稿を送信して、散歩に出る。途中、古本屋で、気分をかえる感じでミステリとSFの文庫を何冊か買う。喫茶店に入って、それらの最初の章だけを読んでみるが、どれも面白くなりそうだとは思えず、外れのようだった。帰って、『水死』のつづきをちょっと読む。これはすごく面白い。
●久しぶりな感じでテレビをつけてみた。意味が濃すぎるというか、意味を強制的に押しつけられるような感じで、ちょっと受け付けられなかった(特にバラエティ系)。しかし、音を消してみたら、画面に引き込まれた。音のない(というより、言葉のない)テレビはすごく面白い。豊かな感じ。
●テレビを観ていて思ったこと。明治は1868年に始まった。ぼくは1967年に生まれた。つまり、ぼくが生まれたのは、江戸時代が終わってたった百年しか経っていない時代なのだ。なんというか、この「歴史との近さ」に、ちょっと愕然とする。そんなことは知っていたはずなのだが、改めて意識するとびっくりする。それは、この年齢になることによって、「百年」という時間の長さへの感じ方がかわったからということもあるのかもしれないが…。あと、ぼくは今年四十二歳で、昭和四十二年に生まれた。だから、ぼくは既に、昭和がはじまってからぼくが生まれるまでの時間よりも長く生きてしまっているのだ。これも改めて意識するとびっくりする。昭和のはじめなど、すごく遠い時代のように感じるのだが、その遠さは、自分が生まれた時間への遠さの二倍に満たないのだ。あるいは、今から、自分が生まれた時への遠さと、自分が生まれた時から、昭和のはじめまでの遠さは、ほぼ等しいものでしかない。遠いと思っていた過去が眼前にまで迫ってくるようだ。さらに言えば、ぼくの父親が今のぼくと同じ年齢の時、ぼくは既に小学校高学年だったということにも、びっくりする。
これらのことを意識すると、自分に残された時間の思った以上の短さにも気づき、びっくりする。