●最寄りの駅のひとつ隣の駅の南側に、やたらと背の高いビルが建設されている。日々、背が高くなってゆく。この駅の南側は、いわゆる「ひらけてない方」で、繁華街である北側とはことなり、他に高い建物がないから、そこらあたり一帯を見下すようなその背の高さは際立っている。そしてぼくは、このビルに良い印象をもっていない。
このビルが建とうとしている場所は、長いことずっと何もない空き地で、細い道を真ん中に挟んで、一方は駐車場、もう一方は鉄条網で囲ってあって立ち入りできないようになっていた。そしてその駐車場の敷地の隅、線路にとても近いところに、種類はわからないが、一本の常緑樹の巨木があった(この木をちかくで見るために、駐車場のなかに何度も侵入した)。それは、この駅のホームから南の方向を向くといつも見えていたもので、大学に入ってこの近くに住むようになってからずっとそこにある、目に馴染んだものだった。ある日、駅のホームにいて、見えている風景がなんとなくいつもと感じが違うと思っていたら、その木がないことに気づいて愕然とした。
鉄条網で囲われていた土地は既に建築用の壁が建っていて、そこに何か大きな建物が建つらしいことは分かっていたし、駐車場は建築用の資材置き場にかわっていた。しかし、木は敷地の隅の方にあるし、駐車場はたんに資材置き場で、ビルとは関係ないと思っていた。なにより、あんなに立派に木にそう簡単に手をかけるとは思ってもみなかった。しかしあっさりと、跡形もなく消えていた。怒りが起動する前にその力がどこかへだらっと漏れていってしまうというような、なんとも言えない感情に襲われた。
ビルの建築は、駅の南側の再開発と言ってもいいくらいの規模のもので、もともと空き地だった場所よりも広がってゆくものだった。とはいえ、あの木は敷地の隅、ほとんど線路に接するくらいの位置にあり、それを残したままでも十分に建設は可能なはずなのだ。駅のホームで感じた、それはあまりにも雑なやり方なのではないかという割り切れない感情が、今でも、駅の南側を通るたびに再現される。このビルは、日々、どんどん背が高くなっていって、今では、隣の駅にまで行かなくても、住んでるところにごく近い高台からもよく見えて、散歩の途中でも、ちらちらと見える場所があり、それが目にとまる度に、心のなかでかるくチッと舌打ちをしてしまうのだった。
しかしそれと同時に、今では、本当にそこにそんな木があったのだろうか、という気もしてしまう。そこに巨木があったということは、ぼくの記憶の混乱が生んだ幻で、もともとそこにそんなものはなかったのではないか、と。いや、そんなことはないはずで、実際、僕の手元にある写真にもその木は写っているので、確実にあることはあったはずなのだ。とはいえ、「見て確かめることが出来ない」ということは、それだけ不安なことなのだ。しかし逆に言えば、たんに「見えている」というだけのことを、そんなに簡単に信用していいのか、ということも言える。木が本当にそこにあったのだろうか、というあやふやな気持ちがある一方で、木がなくなっていることに気づいた時の何とも言えない感情は、今でも割合生々しく再現される、というのも不思議なことだ。