●昨年末から近所のツタヤでレンタルできるマンガを読みまくっているのだが(今頃になって『寄生獣』の原作をはじめて読んだりしたし)、そこに置かれたマンガで面白そうなものはそろそろだいたい読んでしまったのか、面白いと思うものに当たる確率がかなり落ちてきたと思っているところに『デストロ246』(高橋慶太郎)というマンガに突き当たった。
裏社会で生きる複数の殺し屋たちの、抗争、殺し合い、そして、敵対しているにもかかわらず生じてしまう奇妙な関係性、を描く、といったお話なのだが、その「殺し屋」たちのほとんどが女子高生という、なんともありがちというか、下品で安易な設定で、話の展開もしっかり作り込まれているというより場当たり的で、割とのっぺりしているし、質の高い作品という感じではないのだけど、なぜか面白い。B級作品にしか可能でないような面白さがあり、しかしそれは、いかにも「B級な感じを狙いました」というようなメタではない、真正のB級の良さという感じ。
この作品の面白さは独自の荒んだ感じにあると思う。女子高生の殺し屋たちは皆、生まれながらに「殺し屋」として教育(製造)された商品であり、人を殺すことに何の躊躇も後ろめたさも持たないように(意図的に)精神が操作されていて、その結果としてメンタルが壊れている。たくさん出てくる女子高生の殺し屋たちはほぼ全て、何かしらの形で心が壊れていて、しかも、その「壊れ方」が一人一人皆違う。人殺しは高等な技術を要するから、自分自身を高度に制御できなければならないので、人として破綻しているというのではなく、彼女たちは自分の現状を冷静に計算し判断して行動するのだが、それでも(というか、だからこそ)どこかが決定的に壊れている。主要なキャラクターのほぼすべて心が壊れていて、その壊れ方がそれぞれ違うというところがちゃんと描かれていることが、この作品の独自の荒んだリアリティをつくりだしていて、それが面白さに繋がっているのだと思う。
●とはいえ、人工的に製造された高スペックな――しかし、致命的な欠陥をもつ――美少女(往々にして自分と自分の欲望を大切にせず、強すぎる法=超自我支配下か、自己犠牲と自暴自棄・自己懲罰との境界領域か、を生きる)キャラを、我々はどれだけ消費し、次々とその「新しいバージョン」を生産しつづけるのだろうか、とも思いはする。
(この辺りの感じは、リンチともつながっている気がするが。)
●まったく関係ない話。「チキン距離」という言葉が頭に浮かんだ。