●祖母が亡くなった。102歳。
祖母はもう何年も入院していて、その間に「今回は覚悟して下さい」と医者から言われるような状態に何度もなり、しかしその度に奇跡的に回復し、しばらく安定するということが繰り返された。言い方は悪いが、家族は、祖母の死を何度も覚悟し、そしてはぐらかされるという宙づりの数年間を過ごしていた。おばあちゃんはこのままずっと死なない生物なのではないかという感じさえ湧いた。その宙づりの時間が終わった。
(祖父が亡くなった時は、前日まで普通に生活していて、朝方に倒れて、その日の夕方に逝ったのだったが、祖母は、危機と回復を何度も繰り返しながら、病院で、時間をかけて少しずつ少しずつ生命が弱くなっていくという感じだった。)
死ぬことは簡単ではなく、死ぬということそれ自体が大変な仕事だと感じられた。最後の大仕事を終えて本当にお疲れ様でした、と思う。
(病院は、祖母の生家のすぐ近くにあり、そして、入院前ずっと暮らしていたぼくの実家からも割合と近く、多くの親戚がよくお見舞いに訪れ――記憶の混濁があり、誰が来ているのかはよく分かっていないようだったが――そして見舞いの帰りに実家に立ち寄ることも多く、容体について連絡を取り合うこともしばしばで、その意味で祖母は、親戚たちの緊密な関係を媒介する存在でもあった。長い「宙づりの時間」とは、そういう時間でもあった。)
記憶の混濁もあり、一日の多くを眠って過ごしている祖母の「主観的な経験」というものが、一体どのように構成されているのだろうかと、お見舞いに行くたびに考えずにはいられなかった。例えばオリュウノオバのことなどを考えた。病院は祖母の生まれ育った土地に建っており、紆余曲折を経て最後にそこに戻ってきたということをどの程度知っていたのだろうか(入院の時点では理解出来ていたはずだが)、それは祖母の最晩年の主観的な生に影響を与え得たのだろうか。あるいは、祖母にとって時間は、どういう風になっていたのか、など。