●病院へ見舞いに行って、実家に戻って、「ブラタモリ」の再放送を観て(はじめて観た)、八王子に帰ってきた。風が強く吹く。花粉が本格的に飛びはじめたようだ。
●久しぶりにバスに乗ったのだが、ハイブリッド車なのか、信号で停車するたびにエンジンが完全に止まる。バスに乗っているのに、信号で止まるたびに、振動が無くなり、急に静かになり、外からの音がすっと入ってくるようになる。新鮮だった。
●祖母の調子は、事前に聞かされていたよりもずいぶん良かった。母が持って行った野菜ジュースをごくごくと力強く飲んだ。とはいえ、それは今日がとてもあたたかくて良い陽気だったせいなのかもしれない。年寄りの調子は、その日によって、あるいは、朝、昼、晩といった時刻によっても、大きく変化するようだ。病院の四階にあるリハビリをするスペースが、南北に大きく窓が開けていて、とても気持ちのよい場所だった。
●「ブラタモリ秋葉原篇。道路と公園とのわずかな落差(高低差)から、かつてそこにあった水路=運河を幻視するという展開が面白かった。そのわずかな落差に、古い空間と新しい空間との亀裂があり、そしてそれは同時に、複数の時間を結びつける接点でもある。とはいえテレビ番組なので、それは事前に調べられ、あらかじめそれを知った上で、その場所にロケに行っているわけだ。そうではなく、何の予備知識もなくぶらっと歩いていて、空間に埋め込まれた複数の時間を「落差」として感知し、そこから、ここには何か(掘るに足りるものが)ありそうだと推測出来ることが重要で、それこそが「読む」という行為だと思う。その「何か」が何であるのかを分析したり調べたりすることは、ある程度誰にでも出来ることで、というか、それは後からついてくるもので、そうではなく、まず最初に、てぶらの状態で「ここに何らかの落差=しるしがある」ということを感知出来る能力こそが「読む人」には必要とされる。
●「ブラタモリ」で、街歩きの時に時々でてくる高い位置から俯瞰のショットは、どうやって撮っているのだろうか。リモコンヘリとか?