2021-03-29

●「二人組み」(鴻池留衣)を再読。これはこれでとても良い小説だが、改めて振り返ると、ここから二作目(「ナイス・エイジ」)、三作目(「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー)へと飛躍する跳躍力のすごさを感じる。それだけのものがここには潜在されていたということだろう。

逆から言えば、この「二人組み」は、生涯でただ一度だけ書けるという種類の、この作家にとってのベタにド直球な作品といえるのかも。

《本間》という、とても頭が良いがきわめて気の小さい、故に有害な男性性の塊のように行動してしまう、(思春期のやっかいな重さを思いっきり背負っているような)14歳の少年の様を、ここまで追いつめて書き切れたからこそ、この後の、何回転も捻りが加えられた複雑なアイロニーを湛える作品がありえるのかもしれない。

(《坂本ちゃん》がほんとうのところ、どのように考え、どのように感じているのかは誰にも分からない。本人にすらよく分かっていないかもしれない。故に、ラストに《本間》がとった行動の倫理的な評価は---暴力であるという可能性に対して---開かれたままだ。彼の行為は暴力であるかもしれないが、しかしその評価を、外側から、事前に、決定できる安定した指標は存在しないだろう。クラスメイトや教師による評価は恣意的であり、それ自体が暴力であるようなものだ。欲望に促されて他者に向かう行動は、常に暴力である可能性に対して開かれており、暴力となってしまうかもしれないというリスクを負う倫理的な宙づり状態のなかで行われるしかないだろう。わたしとあなたは、どちらも共に悪となりえる倫理的な宙づり状態を共有することによって、かろうじて対等でありうる、のではないか。《坂本ちゃん》に対してはずっと一方的に暴力を行使していたといわざるを得ない《本間》が、ラストにおいて、そのような倫理の宙づり状態において行動するに至るというのがこの小説だ、と言えるかもしれない。)