●ネットで予約しておいた本を図書館へ取りに行き、その時に目に付いた『ニコニコ哲学』(川上量生へのインタビュー本)も借りてみた。パラパラみていたら、おもしろかったので一気に読んでだ。おもしろく、味わい深い。
以下に引用する部分では、シンプルに真理が語られているように思う。
《論理って突き詰めると、自分じゃなくてもいいものなんです。賢い人が2人いたとして、論理を2人で突き詰めていくと、同じ帰結に達します。どっちが考えても一緒。つまり、非論理的な部分にしか、最終的な個性は残らないわけです。》
《感情が大事、みたいな物語的な説明はしたくないんですが、「自分とはなにか」というところは、非論理的な部分にしか現れないと思います。》
《(…)非合理なものを、ありのまま受け入れることでしか、人間は人間を肯定できないんですよ。》
《人間の本能って、それこそ彼女がほしいとか、もっと寝たいとか、いっぱい食べたいとか、いろんな方向に向かうものなんです。そこには、基本的に論理はない。それが自然なんです。だから論理って、人間の感情と離れた結論を出すし、突き詰めると人間の敵になる。》
《(…)でも、難しいことに、今の世界は論理で動いていますからね。論理のことを知らないと、結局不幸になるのも事実です。》
《(…)だから、人間はすでに論理の奴隷なんですよ。そこに背を向けるということは、単純にはできない。論理を利用しながら、なおかつ背を向けるということをしないと。》
《資本主義の世の中に対抗して、共産社会主義の国家が曲がりなりにも成立しました。これは、世界の歴史に対して、人間のイデオロギーというものが力を持ちうると示したことになりますね。
でもそれが成功だったのかと言われると、実際は微妙な結果に終わった。そして、資本主義の発展は止められなかった。これと同様に、論理に支配されている世界において、それに反乱を起こすというのは、人類にとって本流の動きになる。で、最終的に人類は、共産主義のように負けちゃいます(笑)》
●ここで「論理」と呼ばれているものは、主にコンピュータをはじめとしたテクノロジーの力の基礎となるものであり、資本主義と自然科学の基礎となるもののことだろう。川上量生は、一方で、論理は人間の敵であるから、論理を利用しつつも、論理への反乱を考えなければと言い、しかし他方で、結局は論理が人に対して勝利してしまうことは避けられないだろうと言っている。
こう書くと川上量生は非論理の人のように聞こえるが、しかし、数学者か物理学者になりたかったと言う、子供の頃からコンピュータが大好きな理屈っぽいオタクだったような人なわけで、明らかに論理の側にいる人だろう。その事実は、何よりこの本の多くの部分で語られている。人類が論理に対して「最終的には負けちゃいます」というようなことを口にしている時、実はある種の快楽をその裏に張り付かせているようにも思える(その意味で、言っていることは逆でもシンギュラリティ論者と親和的だろう)。非合理な「感情」のようなものは本当は苦手な人なのだと思う。でも、そういう人が「非合理をありのまま受け入れなければ人間は人間を肯定できない」という認識に至っているからこそ味わい深い。
●Fragile Construction (stationery) 3点。