●『岡崎に捧ぐ』(山本さほ)1巻を読んだ。
育児放棄されている岡崎家の荒れた家庭のあり様が、主人公の山本にとっては、口うるさい親の干渉のない「自由」を感じられるワンダーな空間にみえるという、幸福でお気楽な子供による残酷な勘違い。しかしその勘違いは、岡崎自身にとっても、暗くて不幸な(しかしそこからの防衛のためにそれについて無感覚となった)自分の家が、友人によって読み替えられ(誤読され)、少なくとも友人にとっては居心地のいい空間であることは、大きな救いとなっただろう。山本の(無邪気/無責任な)不見識が岡崎の世界をある程度は変えた。ぼくはこういう話に弱いので、胸が締め付けられるような気持ちで読んだ。
(岡崎の妹と生クリームを食べる場面では泣きそうになった。)
さらに切ないのが、暗くて変人で貧乏な岡崎とは、きっかけさえあれば心が通じ、友達になれるのだが、「メンヘラ」のたま子ちゃんとは、強力なプレステによる誘惑があったとしても、やはり友達にはなれないという、残酷で正確な子供の判断力だ。たま子ちゃんと友達になったら引きずり込まれてダークサイドに落ちてしまうことが子供でも分かる。でも、そうだとしたら、たま子ちゃんが岡崎のように救われるにはどうすればいいのか、と考えてしまう。
●扉の絵がいちいち素晴らしい。『わたしは真吾』の扉絵を思い出す。