●リヴェットが亡くなった。ヌーヴェル・ヴァーグのなかでは、趣味としてダントツに好きな作家だ。とはいえぼくは『パリはわれらのもの』も『アウト・ワン』も『狂気の愛』さえも観ていない。だからきっと、リヴェットの一番濃いところは経験できていない。
『彼女たちの舞台』『地に堕ちた愛』『北の橋』『セリーヌとジュリーは舟でゆく』、これらの作品をぼくはどれだけ好きなのか。これらの作品はぼくにとって「映画を観る」という行為そのものと重なる感じのものだった。
佐々木敦のリヴェット論を読み返そうと思って『ゴダール・レッスン』を久々に取り出してパラパラみていたら、「映画」というものがすごく面白かったのだというこの頃の感覚(空気感)がぶわっと広がるように思い出された(『ゴダール・レッスン』が出たのが94年で、リヴェット論が「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」に掲載されたのが92年だ)。「映画」というものがその奥底に世界の秘密を宿してある感じ。もちろん今でも「面白い映画」はたくさんあるけど、映画というものがそれ自体で既に面白かったというか、映画が映画であるということがそれだけで面白く、刺激的なことだった。今はもう、そういう感じはもてない。
そして、映画が映画であることが、既にそれだけで面白いという、その事実そのものを映画として経験させてくれるのが、ぼくにとってはリヴェットの作品だった。ただ、映画を観るということだけを、いつまでもだらだらとつづけていたい。自分の人生の多くの時間を、映画を観ることという無為な時間によって使い尽くしてしまいたい、という、かなり奇怪で退廃的な時間感覚と異世界感覚。だけど、今のいわゆるネトゲ廃人みたいに、向こう側に没入する感じではなく、あくまでも自分はスクリーンのこちら側、フレームの外側にいて、向こう側に対してはまったく能動性をもたないまま、「向こう」を眺めている。
それは、映画に出てくる人物への同一化の欲望でも、映画世界そのものへの同一化の欲望でもなく、映画というメディウム(装置)そのものへの同一化の欲望だったかもしれない。
90年代のぼくにとって、映画というのもが一種の移行対象だったとすれば、リヴェットはそのための基底(可能性空間)をその外側から保証してくれる「母(の名)」だったのかも。