03/12/08

(昨日からのつづき、樫村晴香ストア派アリストテレス・連続性の時代』から、アメリカと世界についての部分の引用。)

●怪物とは、相手(敵)が怪物であってほしいという欲望によって表象される。つまり怪物は、自らが「想像的に虜になっている敵」の姿であって、現実的な敵の姿とは違う。敵を怪物として表象する戦いは、だから自らの疾患を強化するだけのものとなるだろう。

ビン・ラディンたちの劇は、彼らが想像的に虜になっている敵の水準で演出され、二五〇〇年前の観劇水準に奉仕する。それは一瞬先の不可知の未来に観客を釘付けにすることで、それが劇でしかないことを観客に忘れさせ、その場のゲーム、その規則、その真実の共同体に、人々を囲い込む。(略)崩れ落ちるWTCとハリウッド映画の、どちらがどちらの模倣であろうと、どちらが想像的で、どちらが現実的なものであろうと、要するに抑圧物を再表象し、再度その症候となり、疾患を強化するだけの退屈な戦争劇は、子供と神経症者のみを喜ばせる。》(あり得るかもしれない誤解を避けるためにつけ加えれば、ここで言う「神経症者」とは、鏡像によって自らを統合し、外傷を共有し抑圧することで他者と関係する者のことで、ほとんど「人間」の基本設定のようなものだ。この論考全体の構図としては、そのような神経症者的な「共有された外傷」による真理や自由などという概念に対し、真理や自由など問題とせず、「限定された選択とその帰結に身をまかす」ストア派が、より望ましいものとして示されれている。)

このとき、怪物たるアメリカに対して、神の名のものとに聖戦を宣言し、殉教という言葉で自爆的な攻撃を仕掛ける「イスラムアリストテレス」たるビン・ラディンは《死と欲動を予め完全に象徴的に造形し、すなわち排除し、去勢を絶対的に忌避しており、それゆえ彼らが排除するものを自らの力とする者=アメリカに敗退する。敗退を避けるには、アリストテレス/トマス・アクィナスを捨てた宗教改革に倣って、彼らも新教徒となるしかなく、結局禁欲者同士の悲劇が上演される。》(ここで言う「去勢」とは、自らの能動性の限定性を受け入れること、というくらいの意味にとっておけば、それ程間違ってはいないと思う。つまり現実的な死と欲動を象徴的に造形されたものによって排除し、そこに永遠の秩序を可能にする、ということ。正確ではないかもしれないけど。)

「彼らが排除するものを自らの力とする者=アメリカ」というのは、欲動を象徴的に構造化(固定化)しないことによってダイナミックに動いて行く資本主義のことであり、それを可能にしている新教徒的な信仰、他者を蹴落とすことを自分への挑戦だと考える類の信仰をもつ者のことだろう。つまり、アメリカと対決するために、彼らは必然的に「新教徒」化せざるを得なくなる。元来、《欲動と反復強迫、現実的なものを予め刈り込み排除するイスラム教に、偶像崇拝も転移もな》いはずなのだが、ビン・ラディンたちはそこに、共有される外傷としての「真理」、つまりは新教徒的な文法を持ち込むことによって攻撃と転移とを導入する。この時アメリカも反アメリカも似たもの同士であり、ここで演じられるのは結局、新教徒的禁欲者同士の悲劇となる。

●だからここで真の構造的対立は、新教徒対回教徒、資本主義対反資本主義、抑圧者対披抑圧者というところにあるのではない。

《三〇〇〇ドルで世界一周できる時代に、爆弾が飛び交い常時徴兵義務のある場所に居続けるのは、愚か者か貧者であり、真の構造的対立は、この場所から逃げ出した者と居続ける者、ニューヨークのユダヤ人とイスラエル人の間にある。愚か者は殺し続ける。そしてさらに重要なのは、そうして逃げ出す能力をもった者、例えばオーストラリアやスウェーデンセネガルに豪邸を構える元レバノン人のような者の多くが、なお、西欧文化のいくつもの機微、とりわけアメリカ人とアメリカ的な攻撃性、挑戦性、単純性、物質性を心底嫌悪していることである。》

まず、「その場所」から逃げ出す者と逃げ出さない者との対立がある。これは単に貧しさの問題だけではなく、「逃げ出す」という選択を「考えることすら出来ない」という問題でもあろう。そしてさらに、そこから逃げ出すことに成功した、資本主義を知り尽くし、それによって莫大な成功をおさめた者もまた、元来彼らとは対立しているはずの「逃げ出すことの出来ない人たち」と共に、アメリカ的なものを憎み、反アメリカ的な攻撃を支えている。ここにあるのがつまり「文化精神的理由」であり、よって彼らの敵は、アメリカ政府であるよりも、アメリカ人、アメリカ的な生活であろう。アメリカによって世界経済の生産性が支えられ、それによって優雅な生活を手にしているにも関わらず。事態は複雑であり、アメリカという「帝国」によって引き起こされる、勝ち組と負け組との分離、格差の拡大に原因があるという単純な構図は成り立たない。

(追記。アリストテレスについて、とんでもない読み違えをしていることに気づいたので、一部削除しました。『ストア派アリストテレス・連続性の時代』において、アリストテレスストア派はつながっていて、対立などしていません。全く混乱していました。)