●お知らせ。けいそうビブリオフィルに連載している「虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察」の15回目、「社会を変える」というフィクション/『逆襲のシャア』『ガンダムUCユニコーン)』『ガッチャマンクラウズ』(1)、が公開されています。
http://keisobiblio.com/2017/02/08/furuya15/
タイトル通り、現在、どのような形でならば「社会を変える」というフィクションがリアルであり得るかについて考えます。以下、本文の一部を引用します。
《それ(「機動戦士ガンダム」)は一方で、人間は変わり得るのか、社会は変わり得るのかという可能性の物語であり、もう一方で、新世代に対する、旧世代の無理解や抑圧という、世代間対立(抗争)の物語でもあります。新しい可能性は古い体制のなかで生まれますから、必ず、古い体制の無理解と抑圧に突き当たることになります。新しい可能性(ニュータイプ)は、人類にとっての希望であると同時に、現に今ある体制にとっては非常に危険な存在ということになります。》
《ここには二重の対立があると言えます。一つは、地球連邦政府ジオン公国との戦争という対立。そしてもう一つは、戦争をするしかない現状の体制と、現状を超え出る(かもしれない)新しい可能性との対立です。》
《前者の対立(ジオン対地球)は、「現にある体制」内部での対立であって、戦争でどちらが勝とうが、現にある体制内で力関係が変化するにすぎず(ジオンが勝っても与野党逆転に過ぎず)そこに「新しい可能性」はありません。》
《(『逆襲のシャア』の)シャアは、新しい可能性を抑圧する古い体制(地球連邦政府)の存在の根幹そのもの(地球環境)を破壊してしまうことで、その抑圧を性急に取り払おうとしているのです。これはまさにテロリズムであり、この行為を肯定することはできないでしょう。シャアがテロリストだとすれば、この物語においてシャアと敵対するもう一人のニュータイプであるアムロ・レイこそが、この連載の1回目で取り上げた「体制内アウトロー」の先駆けと言えるかもしれません。》
《彼ら(体制内アウトロー)は、体制内では周辺的な位置にいて、権力の中枢とは距離をとっています。破壊を厭わずに性急に世界を革命しようとするようなテロリストが現れたときに、権力の中心は官僚的で腐っていて機能せず、それに充分に対処できません。そこで、体制内アウトローである彼らが独自の行動をとって事態を回収します。彼らは革命家でも権力者でもなく、無名の公務員ですが、汚れ仕事を買って出る彼らの矜持とやせ我慢が世界の秩序を守るのです。しかし彼らはあくまで「古い体制」の側にいる人たちであって、「新しい可能性」の側にはいません。彼らの活躍によって、世界の破壊や混乱という最悪の事態は免れますが、それは同時に「社会を変える」という行為を抑圧します。結果として、腐った権力の中枢(既得権)を生き延びさせるのです。ここに彼らの最大の矛盾があります。魂は反体制的である彼らにとって、本当は彼らの敵である革命家こそが「夢」なのですが、しかしそれは世界の破壊を意味するので決して実現を許されない夢なのです。》
《破壊によって性急に世界を革命しようとするテロリストも、腐った秩序でも混乱よりはマシだとしてそれを守る体制内アウトローも、どちらも「人は変わり得る」「社会は変わり得る」という可能性を信じられないという点で一致しています。可能性はあるんだ、可能性を信じろ、とただ言われても、それをそのまま信じるには、その失敗をあまりに多く目にしてしまっているのです。》
《『ガンダムUC』は、旧世代と新世代との対立の物語ではなく、旧世代が新世代に対して未来を託すという物語です。あるいは、死んでいくものが、生き残った者に未来を託すのです。この時、託す側の旧世代は、新世代が本当に社会を変え得る存在なのかは分からないままで、それでも託すのです。》
(「ガンダムUC」は、「ラプラスの箱」という、地球連邦政府の存続の根幹を揺るがすと言われている「謎の何か」をめぐって、地球側とネオ・ジオン側が争う話なのですが、その「ラプラスの箱」へ至るための重要な鍵が、主人公のバナージと、彼にしか操縦できないガンダムです。)
《この物語の基本は、地球連邦側とネオ・ジオン残党側との間で行われる、箱の鍵であるガンダム(とバナージ)の取りあい合戦ということになります。(…)しかしどちらの陣営も一枚岩ではなく、様々な異なる立場があり、そして様々な立場たちは解きほぐせないほどの複雑な関係として絡み合っています。それぞれに異なる立場が、しかし解きほぐせないほどに緊密に絡み合ってしまっていることそれ自体が、状況の動かし難さを形作り、現体制を強化してしまってもいるのです。その様々な立場の間を、取りあわれる対象であるバナージとガンダムが遍歴していき、バナージは、それぞれに相容れない複数の立場が、それでも、それぞれがそうであるしかないというあり方で存在していること、つまり、現状がこのようにしかあり得ないことの動かし難さを痛感するのです。》
《(しかし) バナージとガンダムが、様々な立場にある集団に取りあわれ、それらを次々と移動していくことで、膠着し、動かし難いと思われた集団間の関係が少しずつ動いていくのです。考えてみれば、それぞれの集団はそれぞれに異なる事情をもち、目的や利害も必ずしも一致していない以上、敵/味方の線引きも自明ではないはずです。そのような動きのなかで、集団や個人間の関係が変化していき、地球の側に所属する戦艦ネェル・アーマガは、ネオ・ジオンから距離を置いたガランシェール隊の一部と合流し、地球側からもネオ・ジオン残党側からも距離を置いた独自の立場として、バナージやミネバとともに「ラプラスの箱」を目指すことになります。》
《ここでは、少なくとも与野党逆転とは別のこと(変化)が起こっています。二大政党制に対して第三の道(三つ目のチーム)が付け加えられた、ということとも少し違います。例えて言えばこれは政界再編であって、全体の構造が書き換えられたということと等しいと考えられます。違う構造が出現したのです。》
《1チーム11人として、2チーム22人でゲームしているうちに、いつの間にかそれが、9人と8人と5人の3チーム22人でする別のゲームに生まれ変わってしまっていた、というようなことが起こったのです。》
《ここで重要なのは、ネェル・アーマガとガランシェール隊、それにバナージとミネバによる寄り合い所帯は、状況の推移のなかで偶発的に(ブリコラージュ的に)生まれたものであり、前もってプランされていたり、理念の摺合せや契約などがあったわけではないということです。》