03/12/19

最近あまり余裕がないのは、時間的なこともあるけど精神的なものもあって、今日も、来年展覧会をする画廊と意志疎通が出来ているとばかり思っていた点が全く通じていなかったことが判明して愕然とする。なにしろ、展覧会のためのDMが出来上がってこちらへ届いたのだが、そこに印刷されている作品がぼくが指定したのと違っているという信じがたいことになっていた。いや、ぼくの作品には間違いないのだし、次の展覧会へ出品する作品でもあるのだから、これでも困ることはないと言えば言えるのだけど。(画廊には4点分の作品写真のポジ・フィルムを渡してあって、そのなかから1点を打ち合わせで絞ったはずだったのだが、それとは違う作品が印刷されていた。)誤解されると困るけど、これは何も相手を責めているというのではなく(モノクロ・コピーで分かりづらいとはいえ、ぼくも校正をチェックしているのだし)、どこでどうしてこのような行き違いが生じてしまったのだろうか、と言うことなのだが。制作に手一杯であることを理由に、ちゃんと連絡もとらずに任せっきりにしておいたのが問題なのは間違いないのだが、それにしても互いに意志を通じ合わせるというのは難しいことだという、またも当然のことを再確認することとなり、これを(面倒なことではあるのだが)怠ると予想不能のところに穴が待ち受けていることを思い知る。あきらかに悪意があってされたことならばまだガッツが涌いたりするのだが、こういう微妙な行き違いは意外とダメージが大きく、ふにゃっと脱力してしまう。

(追記。ええと、ことさら騒ぎたてる気はないので、追記として地味な位置に書いておきます。青山さんの日記(vol.3)を読んだのですが、ぼくは青山さんが映画についてどのようにお考えになっていても、それはどうでもいいのです。ぼくのことを「0へえ」だと評価されたとしても、とても残念ではありますが、それも仕方ないでしょう。ただ、ぼくが12日の日記で言いたかったのは、青山さんはぼくの9日の日記の記述について《「美的な画面」が内容とそぐわない》と要約していられるけど、そんなに単純なことを言っているつもりはない、ということだったわけです。その要約は乱暴すぎます、と。まあ、ぼくも多少感情的になってしまって、余計なことも書いてしまったので分かり難くなってしまったのかもしれませんので、その点だけを改めて書いておきます。)