03/12/15

アテネ・フランセ文化センターでペドロ・コスタ『骨』。上映後のトークショー青山真治が使った言葉を青山氏とはやや違った意味合いで使えば、ペドロ・コスタという監督がヨーロッパのプロレタリアート系の映画(初期のカウリスマキのような)の系譜の人なのだろうと分かった。『骨』もたいへん面白い映画だったのだけど、『ヴァンダの部屋』とはちょっと感触が異なる。この違いはやはりフィルムとビデオの違いだと言って良いのだろうと、ぼくは思う。トークショーで、フィルムで撮ることとビデオで撮ることの違いについて司会者から問われたペドロ・コスタは、フィルムだろうとビデオだろうと、まずカメラをどこに置き、対象とどのような距離をつくるかが問題になる点で少しもかわらないと述べていたのだが、しかし作業の手順や内容、その作業において配慮する事柄はかわらないとしても(かわらないからこそ)、その結果出てくるものには、大きな違いがあることは事実だと思う。簡単に言えば、ショットに内在している時間のあり方、時間の把握のされ方が、フィルムで撮られた『骨』とDVで撮られた『ヴァンダの部屋』とではかなり違うとぼくは思う。(フレームや対象との距離を「映画的に」きっちりとつくっているからこそ、『ヴァンダの部屋』ではそこからこぼれ落ちるような時間が際だつ。)そしてその違いが、『ヴァンダの部屋』のドキュメンタリーともフィクションともつかない形式を可能にしているのだろうと思う。