小島信夫の訃報に突き当たったのは、昨日、博物館から返った後、深夜にネットを徘徊している時だった。26日の午前3時58分に亡くなられたそうで、その時間、自分は一体何をしていただろうか、と、まず考えた。(カネフスキーの『動くな、死ね、甦れ』をビデオで観た後、余韻でボーッとしていたはずだった。)
●以下は、『寓話』(小島信夫)46章より。
《茂子さんが亡くなったのは、昭和三十二年です。あなたさまは、夏いっぱいアイオワ・シティ周辺で暮らしておいでになりました。それは「広い夏」から始まるいくつかの小説を読むと見当がつきます。あなたさまは、三軒の農家に移り住んでいらっしゃいました。その頃、茂子さんは亡くなっていたことになります。あなたはアメリカの生活にもいくらか慣れていらっしゃった頃です。あなたさまは、あの市に到着なされると、ホテルに何泊かしましたが、彼女もまた、同じホテルに逗留し、あなたをスパイすべく、空想にふけり想像を逞しくしていました。ほんの僅かの日数の違いであなたがホテルを出ていたのは、彼女にとって仕合わせなことというべきかもしれません。あなたさまは彼女のことを何もご存じなく、あとになって、浜仲さんが暗号に組んだ手紙を読むうちに、当時の茂子さん自身がホテルから兄の浜仲さんにあてた手紙が姿を現して、そのことをあなたに知らせたことにどんなに驚かれたか、私は何だか泣けてきました。誰かを哀れに思ったり、運命を相手にして悲しんだりしたわけではありません。》
《私は今こんなことを考えています。私は茂子さんが、あなたさまに対面しないままに、ニューヨークに帰ってしまわれたことが、ある意味では、残念で仕方がないのです。私は彼女があなたの前に、いくどとなく、アイオワ・シティやその周辺だけでなく、南部にまで立ち現れて、あるいはあなたさまを脅かし、あなたさまを唆し、あなたさまの中にある何かをもっともっと引き出す役をなさることができたら、どんなによかっただろう、と思うのです。たしかにそんなことは不可能かもしれません。それに茂子さんが浜仲さんの妹であることを、隠しおおせるかどうか怪しいものです。彼女がそもそも何のためにあなたさまに接近しているのか、分らないわけにはは行かないかもしれません。見破られたっていいじゃありませんか。私は何かしら、浜仲さんはそのことを勘定に入れていたのかもしれないとさえ思うのです。もちろん、ただの空想にすぎないのですが。まさかとは私は思います。しかし、それでもそう空想したいのです。私はさきほどまで----この手紙を書きはじめるまで-----こんなことを考えてはいなかったのです。》
●今日の天気(06/10/27)http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/tenki1027.html