●最近撮った写真。ようやく、イメージしている感じに少し近づけた感じ。でもこれは、おそらく真夏の午前中の光のおかげだ(はてなフォトライフの今月分の容量が、もう一杯になってしまったので、今月はこれ以上写真がアップできない)。
●(昨日からのつづき)例えばフーコーの例示するパノプティコンというのは、具体的な制度=装置の分析であるのと同時に、近代的なディシプリンの「比喩」になっていると思うけど、ラトゥールの空気ポンプは、決して比喩とはならず、ネットワークの結節点(媒介、混合物、あるいは準モノ)の、一つの具体的な例示に留まる。この、比喩にならないというところはとても重要なのではないか。「例」と「比喩」の違いは微妙だけど、何というのか、比喩になってしまうと、モノでもあり記号でもある媒介が、ぐっと記号の方に近づいて、(モノと記号の混在である)ネットワークというより(記号の)体系に取り込まれるというのか。比喩は、ネットワークの具体的な通路を遡行せずに、一挙に「全体」を説明して(説明したことにして)しまう(だからこそ「有効」なんだけど…)。ラトゥールの言い方で言うと、(不確定な)実存から、より(安定的な)本質の方へ、パスを出すのではなく位置を確定することの方へと、近づいてしまう。具体的な手触りから離れてしまう感じ(でもそれは、フーコーのせいというより、「フーコーを読む人(というか「読まない人」)」のせい?)