2022/10/10

●下はラトゥールが亡くなったことを知らせるリベラシオンの記事だけど、この見出し「Mort de Bruno Latour, le philosophe qui a déconstruit la science 科学を脱構築した哲学者ブルーノ・ラトゥール氏死去(DeepL翻訳)」には問題があるんじゃないかと思う。ラトゥールが科学を「脱構築」したというのはサイエンスウォーズなどを通じて流布した典型的な誤解で(アクターネットワーク論は脱構築じゃない、科学的実在を社会的関係へと解体しようとするもの―「科学」を「社会」へと貶めようとするもの―ではなく、科学と社会との間の相互作用的で綿密な結びつき=ネットワークを具体的に見ようとするものだ)、ラトゥールの名やアクターネットワーク理論がこれだけ知られるようになってもまだ、リベラシオンでさえこういう見出しをつけちゃうのかと、がっかりする。

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●アクターネットワーク理論には、ラディカルマーケットに似た感触がある。「ラディカルマーケット」という本には、市場主義を徹底することで、ほとんど共産主義に近い状態が現れる(現状、市場主義が徹底されてないいことこそが様々な不平等を生じさせている)という主張が書かれていて、そこには一定以上の説得力を感じるが、ただ、ラディカルマーケットが描いている世界では、あらゆる人が勤勉で、自分自身の持つ能力を最大限に発揮することが前提となっていて、怠けたり、何もしないで(自分の才能を発揮しないで)ぼんやりと生きることが許されないような感じになっている。同様に、アクターネットワーク理論においては、あらゆるアクター(人だけでなく非人=モノもまたアクターだ)が積極的にネットワークの中での自らの位置を主張し(主張し続け)、ネットワークに働きかけ(働きかけ続け)ることが前提となっていて、ネットワークから「脱去する」自由が与えられていない感じがする(ネットワークから脱去することは、存在しなくなるとみなされることだ)。そこがキツいなあと、どうしても思ってしまう。ただぼんやり「居る(有る)」ことが許されない感じ。

●(上とは関係ない話)この映像、去年のライブなのか。2021年にこの三人が同じ舞台で現役アイドルと一緒に「nerve」をやっていたのか。WACKは旧BiSをとても大切に扱っているのだなあ、と感じる。そう思うとちょっと泣きそうになる(ぼくは解散後に旧BiSの存在を知ったのだから、このような感慨に耽る権利は本当ならないのだが…)。旧BiSの三人が着ている衣装は、解散ライブの時のものだと思うけど、この衣装のデザインは見れば見るほどすばらしい。

nerve / BiS(プー・ルイ、カミヤサキ、古正寺恵巳) & 豆柴の大群【2021.10.03 豆柴の大群特別公演「豆柴の大群の疾走」at 舞浜アンフィシアター】 - YouTube