●京大での対談(http://kyoto.cool.ne.jp/enf/nf.html)は無事終了しました。初対面だったのですが、星野さんもあまり口数が多いというような方ではなく、喋っている時間よりも沈黙の方が長いような対談になってしまうのではないかと心配したのですが、しかしさすがに星野さんは「対談は苦手」だといいながらも、この日記を事前にチェックしていて、適当に話題をふって下さったり、しばしば言いっぱなしになってしまうぼくの発言を受けて次の話へ繋げたりして下さったりして、おかげで、なんとか「天使が通りまくり」の対談になることは避けられたと思います。しかし対談というよりも、星野さんに助けられて、自分の言いたい事を勝手に喋り散らかしただけ、という感じではあるのですが。(対談がはじまってしばらくしてから、急に強烈な胃痛に襲われ、ずっと胃の痛みをこらえながら話していたのですが、対談が終了すると徐々に痛みはひいたので、おそらく緊張によるものだったのでしょう。主観的には、それほど緊張しているという感じではなかったので、軽い「解離」が起こっていたのかも知れません。)星野さんもぼくも、中上健次について語られる言説のあり様が、あまりに偏っているというか、一面的なものであることへ不満を感じているという点は共有出来ていたように思えます。ただ、互いの読みに対して互いにツッコミをいれる、というところまではなかなかいかなくて、「対談」という感じではなかったかもしれません。というか、ぼくとしてはそんな余裕はなくて、とにかく、あまり長く沈黙がつづかないように言葉をつないでゆくこと(とりあえず何か喋ること)で精一杯という感じでした。(とりあえず何かしゃべらなくてはいけない、という「場」が強いるプレッシャーをはねのけ、勿論、観客へのサービスとしてのプロレス的な対立をみせるのでもなく、人前に出て、「対談」を普通になりたたせるのは難しいことなのだなあと、つくづく感じました。)
●本当に「通り過ぎた」だけという感じなのですが、京大のキャンパスから感じられたのは、歴史と伝統によって支えられた「ゆったりとした余裕」のような雰囲気で、それは、対談を企画した下さった経済学部自治会文化部のたまり場になっているという地下スペースが、24時間出入り自由で使用可能だという話を聞いたせいもあるのですが、なにより、キャンパスのなかに巨木がたくさんあることによって感じられるものではないかと思われました。建物は新しいものに建て替えられていたとしても(そして勿論、学生も入れ替わっているわけですが)、長い時間ずっとそこにありつづける巨木が、その場所にずっとありつづける大学の「場の連続性」のようなものを支えていて、それがある「雰囲気」の保存や蓄積を可能にして、余裕をつくりだしているのではないか、と。(実質的には、そこを卒業した「先輩」たちの様々な行為の積み重ねという実績=歴史によって支えられているのでしょうが。)ぼくが知っている(つまりぼくが通った)大学というのは、(まあ、京大と比較するのはどうかと思いますが)山の中に突然出現する、周囲から切り離された「なにもない場所」のようなところだったので、なおさらそれを強く、うらやましく感じました。実際に在学中だった時は、そのあまりに貧しい「なにもなさ」に苛立つとともに、その背負うもの(失うもの)のない(切り離され、浮遊した)「軽さ」を、それはそれで面白いことだとも感じていたのですが。
●夜は、学生の方が予約して下さったところに宿泊したのですが、部屋のストーブが壊れていて点火せず、宿の人が布団をもう一枚もってきて、すいません、(部屋は満室で替わりはないので)布団二枚使っていいので、これでぬくうして寝て下さい、と言われたのだった。とにかく寒いので布団に入るしかなく、しかし、布団に入ってしまえばとてもふわふわして暖かく、(灯りを消す間もなく)すぐに寝入ってしまい、朝までぐっすりと気持ちよく眠れたのでした。