●大倉山のギャラリーかれんで、明日からはじまる展覧会のための作品搬入と展示。
http://maplekaren.blogspot.jp/
八十一人の小品がちいさなギャラリーのスペースにびっしり展示される。こういう感じの展示に参加させてもらうのははじめてだけど、展示が済んだ状態は思っていた以上にぼくには面白く感じられた。こういう状態だと、作品をつくる一人一人の人の背負っている(属している、前提としている)文脈とか問題とかこだわりとか経歴とか事情みたいなものはいったん剥奪されてしまって、何かを「つくる」という時にはたらいている力のあり様が裸になって露呈されてしまうように感じられた。けっこう有名な(ぶっちゃけ「高い値段がつくと思われる」)作家の作品とかも混じっているのだけど、そのような固有名は埋没してしまって、しかしそこであらわれるものは均質な無名性でもアナーキーな雑多さでもなくて、一点ごとにそれぞれみごとなくらいに異なる、人が何かをつくるときの動機や欲望や手つきやシステムや精度や囚われや演算過程の違いなのだった。言い換えれば味わいの違いのようなもの。配置され得る座標からいったん切り離された「味わい」だけが個々に浮かび上がっているというような感じ。こういう面白さって、狙ってできるものではないと思う。
ざっと流して観るだけでも面白いし、小さなスペースだけど、じっくり見ようと思ったらかなり時間とエネルギーが必要だと思う。ぼくとしては、単純に絵って面白いなと感じ、自分のなかで何かが動くのを感じた。