どうでもいい言い訳

●どうでもいい言い訳。昨日の日記は、11月22日の日記のはずなのに、11月23日に書かれた平山瑞穂さんの記事にリンクしてあって、時間的に齟齬が生じてしまっているけど、昨日(22日)書こうとして書けなかったことが、平山さんの記事を読んで「書けた」ということで、実際に書いたのは23日の夜になってから、ということなのだった。この日記は、必ずしもその日付の日に書かれたというわけではない、ということが、こういうところで「だらしなく」露呈するのだった。というか、日記というのは、「その日」に書くものなのか、「その日にあったこと」を書くものなのか。(日付は、書いた日の日付なのか、書いた事柄のあった日の日付なのか。)例えば、一年前にあったことを、一年前の日付で書くのは、日記として嘘っぽいと思うのだが、一日、二日の幅であれば、(それが書かれた日ではなくて)その事柄が生じた日の日付がつけられていても、まあ、いいんじゃないか、というきわめていい加減な態度で、この日記(の日付)は書かれているということです。(しかしこの言い方も正確ではない。昨日は、朝何時に起きて誰と会った、ということなら、その事柄は「昨日あった」ことだと言えるのだが、昨日考えていたことが?今日になって書けた場合、考えたのは昨日なのか今日なのかよく分からなくなる。というか、そんなのどっちでもいい。しかし、どっちでもいいと思いながらも、一週間も二週間も前のことを、その日の日付で書くことは、「日記」である以上嘘っぽくて抵抗がある(だから、それはやらない)、ということも確かにある。)