プーシキン美術館展

●今日、見たわけじゃないのだけど、上野の東京都美術館プーシキン美術館展というのをやっている。こういう、特に目玉になるような凄い作品が来ている訳ではない、よほどの絵画マニアでもなければ楽しめないような地味な展覧会が、あんなに混んでいるというのは、どうしてなのだろう。同じ美術館で一緒に「日展」(という犯罪的な)展覧会をやっているから、ということも考えられるけど、それにしたって混み過ぎていて、荷物を入れるためのロッカーがいっぱいで、空くまで10分以上ロッカーのまわりをうろうろしなければならない程だというのは、平日の昼間というのを考えると、ちょっと普通ではない。いや、多くの人が絵画に興味を持っているとしたらそれは喜ばしいことで、そのことに文句をつける筋合いではないのだが、ぼくとしては、地味な展覧会だからきっと空いていると思っていて、地味な作品を地味に楽しみたいと思っていたのにアテが外れてしまった、というだけのことなのだが。もう一つアテが外れたのは、良い作品が思いのほか少なかったことだ。でも、セザンヌマティス以外としては、ヴュイヤールの(遠くヴェネチア派を感じさせる)『室内』という絵が凄く良かった。思ったのだが、小さな絵は、自然にフレーム全体が目に入る距離よりもやや近づいて、フレーム全体を観るためには目玉を動かさなければならないくらいの距離で観た方が面白く観られる。(ただ、混んでいる状態で「小さな絵」をちゃんと観るのは、ほぼ不可能に近い。)小さな絵というわけではないが、マティスの薄塗りの絵なんかはキャンバスの地の表面の質感が見えるくらい近づいたほうがずっと、そのデリケートな色彩の表現を感じられる。かなりの縦長な『金魚』なんかは、図版で観ると何が面白いのかよく分からないのだけど、実物にぐっと近づいてみると、その見た「部分」がそこだけで「表現」となるように描かれていて、目玉だけでなく首を動かしながら視線をぐぐっと動かしつつ「部分」を見てゆくと、その視線の動きとともに空間も動いてゆく感じで、とても面白い。