●お知らせ。勁草書房のウェブサイト「けいそうビブリオフィル」に、「虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察」の連載第一回が公開されています。
http://keisobiblio.com/
この連載は、現在の「技術的な環境」のなかで、フィクションというものがどのように可能なのか、あるいは、フィクションにどの程度意味がある(余地がある)のか、について考えてゆくというものです。本文中にも書きましたが、だから、作家論でも作品論でも、特定のメディアについての表現論やその歴史への考察でもありません。非メディウムフペシフィック的にフィクションを考察するということです。そして、そのような非メディウムスペシフィックな考察の対象として、「アニメ」という「メディア」が適当であるはずだ、という、ちょっとひねった感じになっています。冒頭の部分を引用します。
≪フィクションはなぜ必要か? フィクションを「リアルだ」と感じるというのはどういうことなのか? この連載で考えてみたいのはそのような事柄です。このような問題をたてるのは、現在の我々を取り巻く環境に「現実主義」とでも言えるような力が強く作用しているという感覚があるからです。虚構の世界がどうなっていようと、それがこのわたしにとって、この社会にとって、どんな意味があるというのか、というようなフィクションへの軽視が、広く共有されてあるように思われます。それは、文化的なもの一般への軽視にもつながるでしょう。≫
このような、フィクションの価値の低下は、ある程度は必然的であるように思います。しかしその必然とは、どの程度のもので、どのようなものなのか。
この連載の元になっているのは、早稲田大学で西川アサキさんがもっている「科学技術の論理と倫理」という講座でゲスト講師として話したことと、国際交流基金主催の「科学と文化が消す現実、つくる現実 ―フィクション、制度、技術、身体の21世紀―」という講座で話したことです。とはいえ、これらのことを元にしながら、書いてゆく過程であらためて考えてゆくつもりです。
連載の一回目は、方向性を示す「はじめに」の、まだ半分くらいのところです。間にゴールデンウイークが挟まるので、次回の更新は5月12日の予定ですが、基本的に三週間に一度の更新を目指します。完成したら書籍化するという前提での連載なので、ちゃんと良いものとして完成させられるようにがんばります。
茅ヶ崎市美術館で観た青山義雄展が良かった。展覧会のタイトルが「この男は色彩を持っている」マティスが認めた日本人画家、というもので、うさんくさいなあと思いつつ気になったので観に行った。実際に観たら、これはマティスも誉めるだろうと納得した。とはいえ、とりわけ素晴らしいのは、マティスが決して観ることのできなかった(マティスの死後に描かれた)晩年の作品なのだが。
資質としては、マティスというよりボナールに近いと思うのだけど、ボナールよりは「しつこさ」がなくて、上品すぎるところのあるボナールより、絵が過度に鮮やかになってしまうことに躊躇がない感じ。そのせいか、時々、コバルトグリーンやエメラルドグリーンがすごく俗っぽくなってしまうことがあったり、染料系の赤紫があやうい感じで画面を染めてしまったりすることがある。でもその傾向は、晩年にはなくなっている。
日本の画家で、これだけ油絵具の半透明性を生かして、光の透明感を出せている画家は他にちょっと思い浮かばない。渋い色彩たちが、くすむことなく透明に響きあうという絵を描く人はいても、地中海的な光と色彩を出せる人は他にいないのではないか。何か歴史的な仕事をして美術史に名を刻むというタイプの画家ではないのかもしれないが(マイナーポエットなのかもしれないが)、絵としては美術史に名を刻む「日本近代絵画の偉い人」たちの作品より断然いい。
(「日本近代絵画の偉い人」たちの絵を、マティスは決して良いと言ったりしないと思う。」)
一階の展示室にあった初期から中期の絵より、地下の展示室にあった晩年の作品がすごい。特に最晩年の静物画は、ボナール的な色彩の豊かさと、ルドン的な、やや危うい感じのある妖しさとが同居している感じで、こんな絵があり得るのかと、打ちのめされる感じだった。展覧会全体のなかでも九十年代前半に描かれた作品がとりわけ素晴らしいと思い、画家の年譜をみたら、九十歳代の終わりから百歳前後に描かれたものだと知って驚愕した(画家は百二歳まで生きた)。
全然枯れた感じではなく、最も脂ののった作品という感じなのに、これが百歳前後の人によって描かれたとは、画家という存在はなんと恐ろしいのかと思った(本当に、年をとればとるほど作品がよくなってゆく)。
下のリンクは茅ヶ崎市美術館のサイト。この画像だと良さが伝わらないけど、「ニースの僧院」、「ヴェニス夕景」はすばらしいです。
http://www.chigasaki-museum.jp/exhi/2016-0403-0605/
茅ヶ崎市美術館に寄ってから、都心に出て美術館やギャラリーをまわろうと思っていたのだけど、青山義雄がすばらしかったのと、十数年ぶりくらいに駅を降りた茅ヶ崎の南側の感じがとても良かったので、都心には出ずに茅ヶ崎を散歩することにした。天気があまり良くなくて、小雨に降られたりしたけど。茅ヶ崎には母の実家があり、子供の頃は頻繁に訪れていたのだった。江ノ島を見たのも久しぶりだ。