08/05/14

●昨日の日記で自分が書いたことに背中を押されて、川村記念美術館マティスとボナール展を観に行った。住んでいるところから美術館のある佐倉駅まで二時間半から三時間かかり、そこからだいたい三十分に一本出ている送迎バスで二十分くらいのところに美術館はあって、連絡が悪かったりすると片道四時間ちかくかかったりする。千葉から銚子行きの電車に乗り換えるとそこは水田がひろがる土地で、どこまでもつづく水田のすべてに、ちょうど田植えが終わったばかりという時期なのでなみなみと水が張られていて、そこに雨降りの重たい曇り空が反映している風景が印象的だった。
●リニューアル後はじめて美術館に行ったのだが、リニューアルはなによりこの美術館の充実したコレクション(やたらとデカイ戦後のアメリカ美術)をよりよい状態でみせるためのもので、まずこれがすごく良かった。ロスコルームは以前より広くなり、照明もやや明るさを増して見易くなったし、ステラの作品がまとめて置いてある一画では、この作家の重要性を改めて感じさせられた(ステラはやはり決してバカには出来ない)。しかしなによりも、ルイスとニューマンの作品が素晴らしく、それらの作品は以前に何度もこの美術館で見ているのだが、まったく新たに出会い直したという感じで見ることが出来、学生時代から好きだったのでちょっと見飽きた感じになっていたルイスとニューマンを、やっぱすごくいいなあと新鮮に観られて、認識を新たにさせられた。ニューマンの「アンナの光」は、これ以上ないというようなよい状態で設置されていた。そして、ニューマンやルイスやステラを観た後に、それにつづいてマティスを観ると、戦後のアメリカ型フォーマリスムが、いかにマティスと直接的につながっているか、というか、ほとんどマティスの可能性の一部分をそのまま拡大させたものだということが、感覚的にすごくよく分かるようになっている。(「アンナの光」のオレンジなんて、ほとんどマティスそのままだと思う。)
とにかく、現在の日本でこんなに充実した美術館が、一つの企業の力によって成立しているということは奇蹟のような話で、DIC(大日本インキ)は本当にえらいなあと思った。
●ボナールは勿論とても良い画家なのだが、マティスと並んでいるとどうしてもマティスばかりを観ることになってしまう。そういう意味でとてももったいなくて、「マティスとボナール」ではなくて「マティス展」と「ボナール展」とをそれぞれやってくれたらなあ、と思った。ボナールは、ひとつの色彩のなかに、マティスよりもより多くのことを含ませることが出来る。
マティスのなかには、既に絵画の可能性の全てが含まれているという感じさえする。セザンヌマティスをちゃんと観るためには、人に与えられた一生ではあまりにも短か過ぎると思うくらいだ。(というか、そういうもののことを「芸術」というのだ。)今回の展示では、マティスのいわゆるまとまった代表作のようなものはなくて、割と小粒の作品があつめられている。しかし実はマティスほど「代表作」という概念とほど遠い画家はいなくて、マティスの絵はどれも中途半端といえば中途半端で、しかしそのどれも完璧に絵画であって、一枚のごくちいさくささやかな画面のなかに、絵画の様々な可能性が惜しげもなくつぎ込まれていて、しかもそれが可能性のままできわめて無造作にごろっと放置されている。おそらくマティスの作品のつきない魅力というのはこのことからくるのではないか。なにかを完成させるのではなく、いかに可能性を豊かに拾い出し、その目眩がするほどの可能性を、可能性のままで無造作にごろっとそこに追いておく。マティスほど、形式や様式の完成度に無頓着な画家もいない。追求されているのは、もっと別のことなのだ。描きかけのままで放置されたような作品、きまぐれでちゃちゃっと手を動かしたようなドローイングのなかに、既に絵画のすべてがあるようにさえ感じられる。画面から溢れてくるほどの可能性が示されているのに、それはやはり未完成であり、だからこそマティスを観ると、絵が描きたくてしかたなくなる。だからこのような、雑多な寄せ集めのような展示こそが、マティスにもっともふさわしいのかもしれない。そもそも、マティスの作品を体系的に整理することなど不可能だし、可能だったとしてもそんなこと意味がない。
展示を観てまわっているうちに、身体の芯からゆっくりと静かに、しかし強い興奮が沸き上がってきて、それが徐々に全身にひろがってゆき、身体の全ての細胞が振動しているんじゃないかというくらいの興奮に貫かれて、このまま自分が沸騰して蒸発してしまうんじゃないかと思われるくらいになった。このまますぐにアトリエにもどって、今抱えていることや約束をすべてキャンセルして、とにかく絵を描くことだけをするべきではないのか、という思いに駆られた(そんなことをしたら一ヶ月でお金がなくなるのだが)。しかし、あまりにも興奮したのでぐったりと疲れてしまい、帰りの電車のなかでは泥が崩れるような感じで座っていた。(帰る時間はどうしてもラッシュ時になるが、美術館から東京方面は混雑とは逆向きなので、座れて助かった。)
●25日で終わってしまうけど、もう一度観に行ければなあ、と思う。