『アワーミュージック』の「ピクピクッ」

●上映が終わってしまうというので、急いでもう一度『アワーミュージック』を観に行った。便利なもので、パンフレットには採録シナリオがついているので、一度目に観る時でも、字幕は最低限しか追っかけなくて済むし、帰ってから採録シナリオを読んで、その上で二度目を観れば、字幕をほとんど気にせず画面に集中できる。おかげで、音のこまかい動きなどもかなり追っかけられたし、ゴダールを堪能した、という感じだ。
ゴダールは美人好きで、美人の顔をいかにうつくしく撮るかということに命をかけてるみたいなところがあったのだが、おそらく『フォーエヴァー・モーツァルト』くらいからだと思うけど(『ゴダールの決別』くらいから既にそうだったかも知れないけど)、女性の顔の撮り方がなんとなく変わってきた感じがする。なんと言うか、「顔」に持たせる意味がかわってきた、と言うべきか。うつくしい風景を撮るようにうつくしい顔を撮っていたのが、適当な言い方かどうか分からないけど「内面性」のようなものを強く感じさせるような撮り方になってきているように思える。(そのかわり、「若い女性」はより一般化=無名化されて、その「からだ」がエロい感じで撮られるようになる。例えば「天国編」に出てくる女性たちみたいに。このことも「天国編」がセザンヌの「水浴図」を思わせる一因だと思う。セザンヌのは全然エロくないけど、「水浴図」に描かれているのは一般化=普遍化された、概念としての「女性性」みたいなものだろう。)で、オルガと通訳がカフェのような場所で自殺について語るシーンでのオルガの顔が、ゴダールが撮る(適当な言葉ではないかも知れないけど)「内面的な女性の顔」のなかでも、とりわけ凄い顔になっていた。(この直後の、夜の路面電車を車のなかから追ってゆくショットも凄いけど。)
●やはりゴダールはいろいろと変なことをやっていて、例えば最初の方の大使館でのパーティーのシーン(ゴダールはこういうパーティーのシーンをいままで何度となく撮ってきたのだが)。このシーンは3つのショットでできていて、一つめは中年のウェイターが給仕しているショット、二つめは若いウェイターが給仕しているショット、3つめは招待客がダンスしているショット。この3つのショットで、(確か)カメラは右から左へ、左から右へ、また右から左へ、という具合に横への往復運動をするのだけど、面白いのは二つめのショットで、やや俯瞰ぎみの望遠レンズっぽいフレームに、若いウェイターが給仕をしながら少しずつ近づいて来て、最後にはアップに近い距離までくる。そこで若いウェイターの右の頬が、ピクピクッ、と動くのを(まるでそれを狙っていたかのように)カメラが捉える。この「ピクピクッ」が、例えばウェイターの感情をあらわしているとか、そういう「意味」があるとすれば全然普通の表現で、珍しくもないのだが、このショットはそういうものではなく、おそらく撮影中、ウェイターの役の俳優が(癖で)無意識にやってしまったのか、それとも緊張からくる軽い痙攣のようなものなのか、とにかくそういうようなもので、ゴダールの映画がすごく「開かれた」リアルな感じがするのは、こういうものをちゃんと「拾う」からなのだと思う。こういうのが世界を捉える運動神経というもので、これがあるからゴダールゴダールなのだと思う。