「一番はじめの出来事」「補陀落」

●『十九歳の地図』(中上健次)に収録されている「一番はじめの出来事」を読むと、既にここに中上健次の全てが出そろっているという感じがする。中上健次という作家は、ある主題なり何なりを深く追求してゆくというタイプの作家ではなくて、同一の主題をひたすら反復させ拡張させ、その反復による拡張の過程で様々な問題を作品内部に誘い込み、抱え込んでゆき、それによって作品の「内容量」がどんどん大きく複雑になってゆく、という作家だと思う。しかし、その作品を作動させる原因(起点)となるものはほとんど同一のもの(それは兄の死という謎であり、路地や家族関係に対する愛着と憎悪であろう)で、そしてそれを作動させ増殖させる装置(それは、甘ったれた坊ちゃんとしての私の自意識であり、その「私」を甘やかす姉や母やオバたちや路地の女たちが延々と語る噂話であろう)も、ほぼ同一のものであるように思われる。だからおとろくべきものはそれではなく、「一番はじめの出来事」のようなささやかな物語を、『地の果て 至上の時』や『奇蹟』といった巨大なものにまで拡張させてしまうほどの、(ほとんど強迫的な)止む事の無い反復の力のようなものだろうと思う。
●それにしても、巻末に収録されている「補陀落」はとても良い小説で、ぼくはこの一編が、『千年の愉楽』の連作の全てよりもずっと良いのではないかと思った。