清原と「冴え」

ぼくはプロ野球中継を熱心に観るような野球ファンではないのだけど、たまたま観ていた中日-巨人戦で、ちょっと良いシーンを見ることができた。8回表の巨人の攻撃で、ツーアウトで一塁ランナーに高橋が出ていて、打席は清原という場面。中日のピッチャーは紀藤で、何球目かは忘れたけど清原に対してワンストライクとった後の投球で、高橋が二塁へスチールをきめる。投球はストライクで、清原は追い込まれた訳だが、その時センターからのカメラが捉えた清原の表情が凄く良かったのだ。清原の表情かすうーっとかわった。なんと表現したら良いのか、顔つきがぱっと明るくなったと言うか、何か「とても嬉しそうな」表情になったのだった。その時清原が考えていたことは、高橋に対して「お前、やるなあ」と言う事だったかもしれないし、「これで長打の必要がなくなって樂になった」だったかもしれないのだが、その時の清原の「心理」がどうあれ、その、力が抜けて気力が充実してくるような、ふうーっとよい顔になった瞬間がすばらしかったのだった。この表情で、今年の清原は心身ともにとても良い状態なのだろうなあ、ということがすごく良く感じられた。(ここでは、高橋の行為の「冴え」が、清原の身体に対して何かしらの影響をおよぼした、ということなのだろう。そして高橋の「冴え」を敏感に察知し得た清原も「冴え」ていたという訳なのだろう。)

野球の中継でやたらと選手の顔の表情を追い掛けるような「心理主義的」な傾向に対して、野球というゲームの運動性や身体の動きを捉え損なってしまうという批判があるのは分かっているし、ぼくも確かにその通りだと思うのだけど、あの清原の一瞬の表情の変化を逃さずに捉えていたりするのを見せられると、意外な拾い物もあるのだなあ、と思うのだった。その後、清原は見事にタイムリーツーベースを打って、二塁ベース上でガッツポーズをすることになるのだが、こういう、「結果」が出てしまった後の「満足げ」な表情などは別にどうてもいいと思うのだけど。

プレー中の選手を、アップに近いサイズで追うのは、どう考えても上品なこととは思えないし、それを見て「いやあ、気合いの入ったいい顔をしていますねえ」なんて解説者が言ったりするのは、本当に馬鹿馬鹿しいという以外のなにものでもないのだが、それでも、人間の顔の表情というものが、何かの「徴候」が現れる場としてとてもデリケートな場であるのは確かではあるのだろう。おそらくあの瞬間に、清原というスポーツ選手としての身体のシステムの内部で、何かが「ふっ」と動いたであろうことは間違いがないことだと思える。

まあ、単純に、冴えている人の冴えてる顔を見るのは気持ちがイイ、ということなのだが。