●『ハプニング』(M・ナイト・シャマラン)をDVDで。びっくりした。気楽に、なんとなく観はじめたのだが、すごい傑作だった。M・ナイト・シャマランは、変で面白い監督だとは思っていたけど、『レディ・イン・ザ・ウォーター』とか、完全に行き詰まりだとしか思えなかったし、正直、ここまでやれる人だとは思ってなかった。物語というか、企画自体はスピルバーグの『宇宙戦争』のパクりみたいな感じで、でも、スピルバーグほどお金は使えないからこうなりました、みたいなものなのだけど、物語としてのチープさなどどうでもいいと思うような面白さ。あからさまに911以降のアメリカを意識してつくられているのだが、それもわざわざ言い立てることもないように思う。この面白さをどうあらわせばよいのかよく分からないのだが、黒沢清がどうしても突破出来ない「壁」のようなものを、シャマランは気負わずにするっと通り抜けてしまった、みたいな感じだろうか。時間をつくって、この監督の作品を改めて最初から観直したいと思った。
今回の作品では、端役の一人一人まで、完全に監督の納得のいくキャスティングなんじゃないかと感じられた。そのくらい、登場人物の顔がすべてが決まっている感じ。いや、決まっているのではなく、全ての人が完璧に「微妙」なのだ。世界も人物も完全に薄っぺらなのだが、その薄さのなかに宿る微妙さのリアリティーというのか。人物としての「深み」のようなものは感じられないのだが、その微妙さにおいてキャラ化されることは強く拒んでいる、というような。主人公のイメージの何とも言えない中途半端さや、主人公と同僚の数学教師との微妙な関係の描写も面白い。水色の瞳が印象的な主人公の奥さんが最初に出て来るカット(表情)が素晴らしくて、もう、そこでこれは傑作に違いないと思った。とはいえ、その顔は、一目見ただけで観客を完璧に納得させてしまうというような強い何かを示すイメージではなく、どちらかというと(表情にしても顔の造形にしても)印象は曖昧で捉え難く、その捉え難さのなかで瞳の色の印象が際立つという感じで、だがその捉え難さこそが主人公の奥さんの人物像を的確に示しているし、その中途半端さこそがイメージとしても面白いのだ。そして、同僚教師の娘役の女の子もすばらしい。今回の作品では、少女は特に「徴候を読む」というような特別な力は与えられてなくて、ほとんどただ居るだけなのだが(これも『宇宙戦争』の娘と同様なのだが、しかし『宇宙戦争』では少女は「見る」人ではあった)、その「居る」感じがとてもよかった。
全体として、トリッキーでチープな演出、薄っぺらな登場人物たちなのだが、その間にふっと差し込まれる、描写の丁寧さや細やかさ(と、「微妙」さ!)のアンバランスみたいなものが、この作品の不思議なリアリティをつくりだしているのかもしれない。主人公が奥さんに「薬局の美人店員」の話をする場面など、感動して泣きそうになった。なんて「微妙」なユーモアなのか、と(しかも、「この場面」で!)。冒頭近くで、主人公である教師がやる気のないイケメンの学生に向かっていう台詞とか「???」以外に反応のしようがないのだが…。だがそれは、たんにギャグを外しているとかそういうことじゃなくて、これがこの主人公なのだし、この夫婦の関係なのだ、ということが「微妙(絶妙?)」にリアルなのだ。
とにかくすごく面白いのだが、その面白さをどう言ってようのかよく分からない。なんちゃってゴダール(『ウイークエンド』)、チープなタルコフスキー(『鏡』や『ストーカー』)という感じもあるのだが、その「なんちゃって」や「チープ」こそが面白いわけなのだが、かといって、作品があらかじめ「なんちゃって」や「チープ」をねらっているというのではないし、そこに着地するというのでもない。この作品は、「変で面白い(興味深い)」というのではなく、「マジで傑作」と言うべき作品だと思う。