●『福岡伸一、西田哲学を読む』(福岡伸一・池田善昭)をなんとなくパラパラ読んでいたのだけど、意外にもという言い方はたいへん失礼であるけど、本当に意外にも大変に刺激的だ。
以下は、福岡伸一のテキストからの引用。時間をエントロピーの増大として説明するのではなく、むしろ逆方向へ向かう、(エントロピーの増大があると同時に)エントロピーへと逆らう働きがあることで、はじめて「時間」が生じるのだ、と(エントロピー増大はむしろ「空間的」である、と)。
《「一から多」は、全体から要素へ流れる方向をいう。分解、酸化(燃やしてエネルギーを得る)、切断(落葉、消化、分裂など)など、秩序が壊される方向をこう呼ぶ。つまり絶え間なく、ちぎれ、つぶされ、拡散される、ということ。(…)分解され、拡散していく、という方向性は、空間的に広がるものとしてある。つまり西田のいうところの「空間の形式」と呼ぶことができる。》
《「多から一」は、上記の逆反応。要素から全体が形成される方向をいう。合成、還元(光合成や高分子の構築はすべて酸化反応の逆)、結合(芽吹き、膜融合など)、秩序が構築される方向をこう呼ぶ。分解の方向、つまりエントロピー増大の方向に対して、エネルギーを使ってあえてこの坂を登り返すことによってバランス(平衡)をとる働き。秩序が構築される、という方向性は、時間が構築されるということと同義敵である(と思われる)。つまり西田のいうところの「時の形式」と呼ぶことができる。》
《ではなぜ生命は、一から多(全体から要素へ)という空間的、拡散的な流れに逆らって、多から一(要素から全体へ)という構築的、時間的な働きを行うことができるのでしょうか。これが生命現象のもっとも核心的な謎であることは間違いありません。シュレーディンガーにも解けませんでした。》
《(…)これはまだきちんとした科学の言葉で論述するためにはもう少し勉強する必要があります。でも方向性はわかってきました。それは、多から一への働きが、一から多への方向と常にリンクしていることと関係しています。しかも、一から多(全体から要素)の流れが、単に、エントロピー増大の法則に身を任せているのではないことと関係しています。》
エントロピー増大の方向は時間が流れる方向のように見えますが、実は、エントロピー増大の法則に身を任せているだけでは時間は生成されないように思えます。時間が生成されるのは次のような契機によります。》
《生命は、エントロピー増大の法則による秩序崩壊に「先回りして」、あるいはあえて「先行して」、積極的に分解を進めているがゆえに「かせいでいる」ものがあるのです。この「かせぎ」によって、多から一(要素から全体への構築)への働きが行えるのです。かせぎの物理学的単位はこれからゆっくり考えていきますが、負のエントロピーのようなもの、あるいは時間そのものといってもよいかもしれません。つまり、生命は、先回りして分解反応を行うことによって、「時間をかせいで」いるのです。だからこそ、動的平衡としての生命は、つまり逆限定の方法は、きれめのない流れとしての時間を生み出すことができるのです。》