夜、というよりも深夜から明け方にかけて、ぼーっとしながら、音楽を聴いたり、あれこれと思い付くまま本をとりだして、ぺらぺらと部分や断片だけ拾い読みして、それらをぼんやりと頭のなかで転がして、組み合わせたり、解きほぐしたりしている、ゆるく流れる時間。
コーヒーを買いに外に出る。街灯のオレンジ色の光り。その光に照らされて一部分だけ浮かび上がる、コンクリートの地面。
そうこうしているうちに、表はだんだんと明るくなってゆく。明るくなるのは徐々になのだけど、『朝』はいきなりやってくるのだった。新聞配達のバイクのエンジン音が聞こえ、人々の足音がたちはじめる。家々の戸や、シャッターの開く音。もう完全に朝だ。
今日は金曜日、ごみを出してから、すこし仮眠しよう。
運送屋からの電話で起こされる。相手の都合で明日のアトリエ搬出の時間が3時間早くなってしまった。画廊へもってゆく作品の最終決定のため、早起きしてアトリエに行かなければ。
トン・クラミのライブに出かける。途中、高円寺に寄って、ビデオを返却。文庫センターで立ち読み。
虎の門。こういうデカいオフィスビルが立ち並ぶ空間を歩くことはめったにない経験。道行く人々を見て、ぼくも生まれかわったら、スーツの似合う、体育会系男子として生き、陽の当たる大通りを歩いてみたい、休日には、子供たちにサッカーとか、教えたりして、なんていう、全く自分に見合っていないことを、なんとなく思ったりする。いい歳をして、高円寺なんかうろうろしてていいのか、と、半分冗談で、自虐的に考える。
しかし、トン・クラミのライブで、そんな考えは吹っ飛ぶ。スーツの似合う体育会系男子は、きっとこういうものに触れたりすることはないだろう。セコイ絵描きでよかった。
トン・クラミはトリオで、パンフレットによると、韓国語で『サークル』という意味だそうだ。ドイツ語の『金にならないしけた音(トン・クラーメ)』にも掛けているという。でも、ぼくはどうしても、ステージの中央、一段高くなったところに、座布団を敷き、あぐらをかいてサクソフォーンを吹く、カン・テーファンを中心に観て(聴いて)しまう。
管楽器というのは、人が息を吹き込んで震わせて音を出す管なのだ、という当然のこと、をあらためてとても強く感じる。そして、そこに息が通る管、というのは人間の身体にとても似ている、ということを、他の二人(ピアノ=弦をハンマーで叩く。パーカッション=叩く)との対比から、思った。
とにかく単純に、うわっ、こんな音がでるのか、という感じで、即物的な音として凄い音出してるし、それを始めるタイミングとか、息を飲んでしまう。ここでこの音 ! ? 。
即興演奏の面白さというのは、即物的な音そのもの(オブジェクト・レヴェル)と、その音が、抽象化=構造化される、つまり音楽となる(メタ・レヴェル)とが、いつもあやうく、不安定な関係にあって、そこらへんの危ういヤバさが、スリリングだというところにあるのかなあ、なんて、ちょっと思った。
演奏にやられたのと、その後、久しぶりにちょっとだけ飲んだのとで、帰ったら疲れてすぐ寝てしまった。だからこれは翌日に書いています。高谷くん、情報その他、ありがとうございました。