気温が低くて、曇っていたので、今日は花粉症、少し楽。それでも、目が覚めると、(鼻がつまって、口だけで息をしているので)口のなかから咽にかけて、乾燥しきってガラガラ。今日は梅干しを食べて、だ液を分泌させ、咽を潤す。
昨日、一昨日と、睡眠不足だったので、昼まで寝てた。起きてからも、『美容室』だか『美容師』だか、そんなタイトルの昼のドラマとか観つつ、だらだらしてる。2時からのワイドショー、TBSは独自の芸風を確立している。憧れのあのスターに変身だとか、お金持ちのマダムのお宅訪問だとか、亭主改造計画とか、そういえば、叶姉妹という存在を初めて目撃したのも、この番組でだった。『美は1日にして成らず』あまりのことに絶句した。芸能ネタやスキャンダルなどの比重が少ないのに、どの局よりも濃い。濃すぎる。
古本屋をのぞいて、梅本洋一『大いなる映像』を買ってしまう。映画・演劇関係の人への、インタビュー集。ついつい、買ってしまったのは、表紙の写真が素晴らしかったから。ヴェンダースの『さすらい』で、ドイツの田舎道をサイド・カーで走る二人の後ろから、3両編成のローカル電車がやってきてゆっくりと追い抜いてゆくところを、同一のフレームで捕らえたシーンが表紙になっている。この映画を観た人なら、たいていこの素晴らしいシーンが印象に残っているのではないだろうか。表紙の写真を見ていると、今にも画面が動きだしそうな感じ。レナード・ベルタのインタビューのページには、粒子がかなり荒いけど、パスカル・オジェのとても美しいスナップも載っている。
この本の最終章は、ヴェンダースへの83年(まだマイナーな映画監督だった『ことの次第』の頃)と、85年(『パリ、テキサス』で一躍、世界的な評価を受けた頃)の二つのインタビューと、その間に挟まれた、蓮實重彦への、ロードムービーについてのインタビューから成っている。内容は、今読むと『懐かしい』という以上のものではないのだけど、ヴェンダースの何本かの映画を、とても観たくなる。この頃、ヴェンダース的な時間の遅い流れ方、というのは決定的に新しかったし、リアルだった。そしてそれは、今でも、とても重要なものだと思う。(例えば、東浩紀の『存在論的、郵便的』と、『さすらい』を突き合わせてみると、何かが出て来ないだろうか、とかなんとか・・・)
夜、ロブ・グリエの映画を観ようと思っていたのに、何故か、だらだらと、松たか子主演のドラマと、深田恭子主演のドラマの最終回を、続けて観てしまった。しかも、2本とも全然面白くないドラマ。
気になった言葉。ヴェンダースが、『ことの次第』で組んだアンリ・アルカンの仕事について訪ねられた時の答え。《私が彼の仕事を理解するにはかなり時間がかかりました。つまり彼の照明設計は、光と影をもとにして考えられたものではないんですね。それは、完全なまでに灰色のもつ様々な価値についての考察から出発していました。つまり、彼にとっては灰色さえしっかり出ていれば、影などどうでもいい。》これこそが、フランス的な光。