●例えば「友情」のような、世界と自分との「長期で安定的な関係」を媒介してくれるようなものの存在が人間が生きるのには、あるいは何かを深く追求するためには必要なのだとぼくは思っていて、つまり日々更新される新鮮さや世界の新たなあり様を感じ取るためにこそ、あるいは、破壊ではなくささやかなものであれ何かしらの「良い」ものを創造するためにこそそれは必要で(安易に結果を求めず、先の見えない宙吊り状態のなかでなにか「来るべきもの」を探るという行為は、その「待機」の時間に耐えられるだけの何かしらの、盲信とも言える確信、つまり基盤としてのある種の安定性が必須だと思う)、「絵画」のような古くからずっと持続しつづけている比較的安定した「形式(媒体)」を貴重なものだと考え、それに関わって生きているのも、このことと深く関係するのだけど、それにしても、昨日や一昨日の記述や、昨年末に(嫌いなはずの)よしもとばななの小説にふと心を動かされてしまったりした記述(04/12/28)などをみても、最近のこの日記は頻繁に「安定性」(安定的なもの)に関する話題が出て来て、それは恐らく今のぼくの生活が(精神的なものではなく、たんに現実的な状況として)安定性を欠いた(先の見えない)ちょっとハードな状態にあることの、わかりやすいと言えばあまりにわかりやすい反映だと思われ、このようなあからさまな現状の「反映」こそが「日記」なのだとはいえ、そのあまりのわかりやすい単純さに、自分でも少し笑ってしまう。
●「よりぬき偽日記」(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/yorinuki-i.html)に「THE OWL AND THE PUSSY CAT(映画、読書、その他・36)」を追加しました。2004年の3月から4月半ば頃までの日記をまとめたものでず。上記したこととも関連のある、世界との「長期で安定した関係と自由」の話なども、ちらっと出て来ます。