『ガラスの仮面』(美内すずえ)42巻

●人から借りて『ガラスの仮面』(美内すずえ)42巻を読んだ。「偽日記」を書きはじめてから5年以上たつけど、『ガラスの仮面』の41巻が出たのはそれよりもさらに前のことだった。もはや、話がどんな繋がりだったかすっかり忘れてしまっているのだが、しかし、このマンガは多分どの部分を読んでも、果てしなく流れる流れの途上を任意に切り取るようなもので、北島マヤ姫川亜弓というキャラクターの基本設定、マヤと紫の薔薇の人である速水真澄との関係、それと「紅天女」とは何なのか、ということくらいを理解してさえいれば、どこから読み始めて、どこで読み終えても、ほとんど混乱すること無く、問題なく読めてしまう。(そのように描かれているからこそこの作品はこんなにも長くつづくのだし、いきなり携帯電話が出て来ても全然オッケーなのだ。)このマンガをはじめて読んだ時には既に、20冊以上の単行本が出ていたし、そして、それももうずいぶんと昔のことなのだ。端的に言って、この42巻はまったく面白くないのだけど、しかし、もはやこのマンガのどこがそんなに面白くて、何十冊もの単行本を徹夜して一気に読んでしまったのか、新刊が出るたびにむさぼり読んだのかを、今ではすっかり忘れてしまっているので、そのこと自体は大した問題ではない。その作品の存在に気づいた時には既に膨大な量の物語が語られていて、さらにその先も、どこまで続くのか果てが見えないような彼方へと通じている感覚があり、そしてその感覚は今もなお持続していて、その、どこから始まってどこで終わるのか分からないような果てしない流れのただ中に巻き込まれ、しばらくの間そのなかをさまよっているという状態になれるからこの作品は貴重なのだ。とはいえ、物語が収束に向かいつつある予感を濃厚に漂わせているのは明らかで、おそらく今後この物語の焦点(みどころ)は次の3点くらいに絞られるのだろうと思う。(1)おそらく「紅天女」は北島マヤが演じることにはなるのだろうが、そこに落ち着くまでの紆余曲折、二転三転を、どのように組み立ててゆくのか。(2)「紅天女」という舞台を「マンガ」として、どのように表現するのか。(3)北島マヤと速水真澄との関係は一体どうなってゆくのか。しかし考えてみれば、このマンガは、これらの問題をずっと「棚上げにしつづける」ことでここまで延々と続いてきたのだった。(棚上げにされたまま「未完」という形でいきなり閉じられるという可能性もなくはないし、この物語にはそれこそがふさわしいとも思えるのだけど。)