●今日は『いぬやしき』(奥浩哉)を五巻まで読んだ。『僕だけがいない街』や『刻刻』に比べると展開が単調だと感じられた。ただ、その分を画力でカバーしている感じ。一つ一つの場面を絵できっちりと見せようとしているためか、物語の進行が遅い感じもした。というか、展開やお話の面白さよりも、あくまで個々の場面のイメージの強さで勝負する作品とみるべきなのだろう。
●ここ五日間で読んだマンガ、『僕だけがいない街』『子供はわかってあげない』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』『刻刻』『いぬやしき』のうちで、完結しているのは「子供…」と「刻刻」だけでそれ以外は進行中の作品だけど、現時点で一番長いのが「刻刻」の八巻分で、ぼくにはこのくらいの長さがちょうどよい。自分は物語にあまり興味がないのだなあと思うのは、どんな面白いストーリーマンガでも十巻手前くらいで飽きてしまうからだ。
(逆に、展開があまりなく淡々と進行する、例えば『ドカベン』や『プレイボール』、あるいは『ガラスの仮面』のようなマンガはいつまででも読み続けられる。『サザエさん』とあまり変わらないから。)
小説でも長いものは苦手だけど、でもドストエフスキーカフカが長くても読み続けられるのは、そこで問題にされている主なものが「物語」ではないからだと思う。ストーリーマンガでも、楳図かずおや『進撃の巨人』ならば十巻を越えても読みつづけられるのだが、おそらく同様に、そこで中心的な問題になっているものが「物語」ではないからなのだと思う(「進撃…」は必要があって読んだのだから微妙だが…)。
(ここで「物語」とは、ストーリーの展開の面白さ、というくらいの意味だ。)
「僕だけ…」は非常に優れた作品だと思うけど、これは明らかにストーリー展開で読ませるマンガなので、ぼくにとっては十巻の壁を越えられないものとなると思われる。「子供は…」や「デッドデッド…」は、物語で読ませる作品ではないのだが(物語の展開が無いという意味ではない、展開の無い作品は無い、作品を動かしている原理として、ストーリー展開の面白さよりも優先される別の要素があるという意味)、でも、そういう作品は大抵そんなに長くは続かない(逆に言えば、ストーリーの展開による「引き」は、作品にある程度以上の長さを要請する)。「刻刻」は微妙だけど、もしこの作品がストーリー展開主軸のマンガだったら、もう少し長くつづくと思われるし、ラスボスとの対決はもっと派手なものになったのではないかと思う(あの対決の妙な顛末は、作品に「ストーリー展開の面白さ」とは別の、もっと強い原理があることを示しているように思う)。
いわゆるストーリーマンガ(という概念が今も生きているのか分からないのだけど)といわれる作品から、ストーリー展開としての面白さとは別の、それ以上に強く作動している何らかの原理があるように感じられる時、その作品から「作家性」を感じるのではないかと思われる。しかしその「作家性」は、必ずしもその作家の資質に起因するものではないかもしれない。作家がその作品をつくっている、その「環境」にこそ作家性が宿っている場合もあるかもしれない。