ウィニコットの『遊ぶことと現実』を読んでいたら、「夢」と「空想」との本質的な相違について書かれていた。夢を見ることは現実の生活をすることと同じ種類に属し、空想すること(白昼夢を見ること)は別の種類に属している、と。夢は、現実の生活や対象とつながっているが、空想は孤立した現象であり、行動を麻痺させる性質をもつ。夢は抑圧に関係があり、空想は解離に関係がある。夢を見るというのは何かしらの行為であり、無定型なものを裁断し、何かを作り直そうとすることだが、空想することはある状態への固着であり、「夢を見る」ことへの防衛である。例えば、「服をつくる」ことを空想することは、ただ「服をつくることだけ」についてのものであり、何ら象徴的な価値をもたず、故にそれについて分析を行うことはできない。しかし、「服をつくる」ことを夢に見る時、そのこと自体が、ある不定形なものを裁断し、何かをつくり直そうとする行為を行っていることになるのだ、と。
空想はある主題についてのものであり袋小路であるが、それに対応する夢は《その中に詩を含んでいる》。トランプの一人遊びは空想することと同じで袋小路であるが、トランプの一人遊びを「夢で見る」ことはそれと同じではない。そして、《創造的に遊ぶ》ことは「夢を見る」ことと同種の行為であって、「空想する」こととは異なっている、と。
フィクションについて考えるための助けとして『遊ぶことと現実』を読んでいるのだが、その意味でもこれは重要であるように思う。
ここから、『精神分析の四基本概念』に書かれた、『夢判断』の有名な夢に対するラカンの解釈を思い出す。息子を亡くしたばかりの父が遺体が安置された部屋の隣で眠って夢を見る。息子が腕をつかんで「お父さん、ぼくが火傷するのがわからないの」と言う。父が目覚めると、倒れた蝋燭の火が棺に燃え移っていた。この夢に対してフロイトは、父は火が燃え移ることを前意識において知りつつも、夢のなかで息子に会えた時間を引き延ばそうとしたと解釈する。夢は、父が眠りを引き延ばしたいという欲求を充足するために生じる、と。
それに対しラカンは、では父は何故、夢で息子と会えているにもかかわらず、眠り続けずに目を覚ましたのか、と問う。一方で、息子に会えたという「夢の世界」があり、もう一方に「棺に火が移っている」という「現実の世界」がある。ここで、夢に対する現実の優位を言うことは出来ない。精神分析はそもそも、外的な刺激とはいっさい関係のない内的な刺激としての「心的現実」が、外的な刺激(知覚)によってもたらされる「現実」と同等の強さをもつという認識からはじまっている。
ここでラカンは、息子と会っていたいという夢による欲求の充足とも、棺に火が燃え移ってしまっているという外的な知覚によってもたらされる現実の世界とも異なる、別の「現実」を考える(ラカンはそれを「現実界」と呼ぶのだが、この言葉は手垢がつきすぎているのであまり使いたくないのだけど…)。つまり、本来欲求の充足のために作動するはずの「夢の原理」のなかにこそ(その彼岸として)、それを破って人に「覚醒を促す働き」が含まれているとする。
現実界、これは夢の彼岸にこそ、つまり夢が包み込み、覆い、我われから隠しているもの、そして代理物しかない表象欠如の背後にこそ探すべきものです。》
つまりここで現実界と言われるものは、父と息子の関係のなかにあって、共有されていつつも、具体的に「これだ」と言って言語化したり指示したりすることのできない(表象欠如の背後にこそ探すべき)、しかし現実に存在した関係の不協和のことだと言える。それは、欲求の充足のために働く「夢の原理(息子と会っている時間を延ばしたい)」のなかにも、我々にとって「現実」としてたちあがる諸表象の秩序(棺に火が燃え移っている)のなかにも、どちらの秩序のなかにも見つけだすことが出来ず、ただ「夢の中」で働く「夢から覚醒させようとする力」としてのみ姿をあらわす、そのようなものとしての「現実」だと言える。ラカンはそのような力を対象aとして一般化するが、しかしそれが言語化も指示も出来ないとしても、あくまで「具体的な何か」であることに代わりはないだろう。
ウィニコットが書くように、「夢」や「創造的な遊び」それ自体が、無定型なものを裁断し直し、何かをつくり直すための行為であり得るとすれば、「夢の中」にこそある「夢から覚醒させようとする力」の作用によると考えられるのではないか。そのような力が、夢と現実とのどちらにも作用し、それを作り替える力をもつのではないか。フィクションについて考える時に、そのこと(虚構とも現実とも異なって斜めに作用する「別の現実」)を考えないならば、あまり意味がなくなってしまうように思われる。
(追記。とはい、ウィニコットが否定的に書く「行動を麻痺させる」ものとしての「空想(解離)」についても、たんに否定して済ませるだけではなく、その組成、可能性などについて積極的に考える必要があろう。)