ウィニコット的なシンボル(と、ぼくが勝手に考えているもの)は、ラカン的には想像界的だからシンボルではないし、パース的にもインデックスに近くてシンボルではないかもしれない。でも、そこが面白いと思う。ウィニコット的シンボルは、ラカン的にいえば、そこから象徴界への通路と想像界への通路の二つの通路が開けていて、つまり、二つの通路が交差しているオブジェクト、と言えるのではないか。
ウィニコット的なシンボルは、フィクション化されたオブジェクトとも言えるか。そう考えることで、フィクションを、現実から切り離されたものではなく、現実を拡張するものと考えることができる。