ICCの、谷口暁彦さんのアーティストトークにゲストで出た。
谷口さんの作品《私のようなもの/見ることについて》で、自分が操作する谷口アバタ―が、自律的に動く谷口アバタ―の視線のなかに入った時、「わたし」が、谷口アバタ―の姿となって、「そこ」にいる(谷口アバタ―としての「わたし」が第三者から見られた)と強く感じた。そして、どうしてそんなことが起ったのかを考えたのが下の図。



●フィクションについて話したことの簡単なメモ。ウィニコット的なシンボル(移行対象)は、インデックスと連続性があるという部分について。
(1)乳児が授乳によって満足感(快感)を得る。(2)満足感が繰り返されることで、満足感の表象が生まれる。(3)授乳を欲し、想像(表象)した時に、タイミングよく母が授乳する。(4)乳房が満足感のインデックスとなる。(5)乳児は、自分の「想像」によって乳房が「創造された」と錯覚する。(6)この「万能感」が乳児に世界に介入する能動性の感覚を与える。(7)しかし実際には、「想像」と「現実的授乳」のタイミングには、微妙にズレが生じる。(8) 想像と現実の間にある微妙な「ズレ」が、想像的でもあり現実的でもある、第三の領域(可能性空間)を立ち上げる。(9)想像し、創造された(ズレを内包する)乳房が可能性空間のなかの対象である移行対象となる(想像=心的現実と、現実=外的現実との「紐帯」であるような対象)。(10)可能性空間のなかで、知覚的な類似性(やわらかい、あたたかい、におい等)により、たとえば「毛布」が乳房(満足)の代理的表現となる(満足のシンボルとしての毛布の誕生)。(11) シンボルは記号表現と記号内容との関係が可動的であり、その可動領域を「可能性空間」だと考えられる。(12) 世界の価値や色づけの配置が可動的になる領域が可能性空間(フィクション・ごっこ遊び)であり、それを行うための記号がシンボルである。
ここでパースによる記号の定義を考える。何か(対象・記号表現)が、誰か(解釈項)にとって、別の何か(記号内容)を意味する。例えばダニ。ダニは、木に貼り付いていて、下を通る動物の体温を感知してそこへ向かって落下し、その動物の血を吸う。この時、温度に反応して落下すると記述すれば物理的だが、ダニ(解釈項)が温度(対象)を捕食対象(記号内容)と解釈すると記述すれば、記号的(情報的)な過程となる。温度は捕食対象のインデックスだ。
(パースによる記号の分類は、イコン→類似による記号(肖像画がある人を表現する)、インデックス→物理的因果性による記号 (煙が火事を表現する)、シンボル→規則、習慣による記号→(文字、道路標識など)となっている。)
大腸菌は通常ブドウ糖を捕食対象とする。しかし、人工的にブドウ糖の存在しない環境に置くと、一部のものは、大腸菌にとってブドウ糖よりも分解しにくいが分解が不可能ではない乳糖を捕食対象としはじめる。大腸菌がもともともっている世界解読のコードを自力で書き換える。世界を探査して、地図を、世界観を、つまりは自分を書き換える。世界から記号を新たに発掘する。これを記号接地という。大腸菌においても、世界の価値や色付けの配置はある程度可動的であり、つまり、大腸菌もまた可能性空間(フィクション)を生きていることになる。
故に、現実とフィクションは同じ素材(記号・情報)でできている。でも、この場合も、「じゃあ物理との関係は?」という問題が残る。
●鎮西さんが言っていたのはこれか。「ニュース!!ジャン・リュック・ゴダール監督の幻だった最初の劇映画”Une femme coquette”が2月17日動画サイトにアップされました!」(シネフィル)
http://cinefil.tokyo/_ct/17043820