2020-08-01

●『MIU404』、第六話。野木亜紀子の脚本は(『MIU404』では特にその傾向が強いように思われるのだが)、ストーリーを因果的で継起的な展開としてみてみると、ご都合主義的なはめ込みというか、あまりにも都合良く偶然が重なるみたいな展開が多くみられるのだけど、それを、形式的な美しさ(面白さ)、あるいは、形式上の複雑なバランスという観点からみてみると、ご都合主義にみえたところにちゃんと必然性があることが分かってくる。だから、ストーリーの展開をみせる作家だというより、様々な要素を絶妙なバランスで組み立てる(配置する)ことで複雑な絵柄を描いていく、というような作家なのだと思う。社会派的で、具体的な諸要素(諸主題)の、抽象的で複雑な配置-形式化。この点で、社会派的、具体的主題を扱っていたとしても、リアリズムとは異なる。

今回でその典型的な例と思われるのが、星野源の元相棒の「事故死」の原因を、綾野剛が「偶然」に解明してしまうというくだりだろう(マンションに掲げられた横断幕の発見)。普通に考えれば、そんなに都合のいい展開があるかよ、と思うのだけど(その余計な付け足しのおかげでリアリティがなくなる、とさえ言えるかもしれないのだが)、このドラマを構成する様々な要素の配置-関係をみると、それは必須であり、それがなければ形がピタッと収まらない。リアルさよりも、形-配置が重要となっている。

(形がピタッと収まらなければ、星野源のトラウマは収束しないままということになる。というか、形がピタッと収まらなければ、星野源のトラウマの収束に誤魔化しが生じてしまう、ということだろうか。)