2020-08-02

●『日本蒙昧前史』(磯﨑憲一郎)には、大阪万博太陽の塔の右目に籠城した目玉男のエピソードが出てくる。目玉男は、終戦から四年目の夏に旭川で生まれたと書かれている。つまり1949年生まれということだ。その後、成長した目玉男が姉と近所の子供たちと連れだってフキノトウを探しに出かけ、家からどんどん離れて遠くまで歩いて、河川敷に出て、その川で八頭のインド象が水浴しているのを見る、という印象的な場面がある。この時、子供たちは浜村美智子の「バナナ・ボート」を口ずさんでいたと書かれている。この曲のレコードが出たのが1957年なので、この時、目玉男は少なくとも八歳以上で、三つ年上という姉は十一歳以上であるはずだ。だが本文では、これは目玉男の六、七歳の頃の記憶で、だから姉は九歳が十歳だったと書かれている。これだけならば、この程度のズレを特に気にする必要もないのだが、この後、姉は十一歳の時に交通事故で亡くなってしまうのだった。「バナナ・ボート」は、姉が亡くなった年にヒットした曲だ。このことを考えると、この場面の見え方や味わいが変わってくる。

つまり、この場面がまるまる、姉の死後の話だとも考えられるようになる。「バナナ・ボート」は彼岸から聞こえてくる歌かもしれない。この場面をよく読んでみると、目玉男は、草のなかに蛇のような何かを見つけて、それをがむしゃらに棒でつついているうちに、子供たちとはぐれそうになるのだが、《しかし姉だけが一人、気が遠くなるほどの彼方の、小高い丘の上に立って、こちらに向かって手招きをしていた》というのだ。

《姉はそのまま歩き続け、弟も小走りで付いていった、母親が待つ家はもうとっくに見えなくなっていたが、そろそろ帰ろうとはいわせない、頑なな雰囲気がこの日の姉にはあった。やがて二人は立派なアーチ橋の架かる、広々とした河川敷に出た、川を遡った遥か上流には、雪の残る大雪山系が見えた。土手を下りるとき、ようやく姉は弟と手を繋いでくれた、そしてあともう少しで川岸に到達するという場所まで来て、そこで初めて、流水に太い脚を浸している、巨大な生物の存在に気づいたのだ。八頭の、本物のインド象が水浴していた、長い鼻で大量の水を吸い上げ、一気に吐き出して自らの背中を濡らすと、その硬い皮膚は、午後の日射しを受けて銀色に輝き始めた。》

いきなり川に象があらわれるという突飛な場面に、なんとも言えない彼岸的な様相がつけくわえられる。弟は必死で姉の後を追うのだが、ここで《ようやく姉は弟と手を繋いでくれた》と書かれているのも味わい深い。こうした、ちょっとした時間のずれ(あるいは逆転)をつくることで、夢とも現実ともつかない、生と死との中間地帯のような領域が開かれる。