2022/12/24

●『にわのすなば GARDEN SANDBOX』を最初に観た時、釣り人ニノミヤ(遠山純生)が出てきた場面で、強烈な既視感に近い感覚で『スリップ』の沖島勲と『ring my bell』の植岡喜晴が想起された。

というわけで、『ring my bell』(鎮西尚一)をDVDで久々に観た。面白かった。

山形育弘の「姉」の存在をすっかり忘れていたが、姉とのやりとりの場面がとてもよかった。おそらくこの「姉の蹴り」が、(緊迫とは程遠い)この映画で最も緊迫する場面での、山形育弘から瀬木俊への「蹴り」へと伝播する。苛立ちや暴力の気配とは全く無縁だと思われたこの映画に、「苛立ち」を最初に持ち込んだのはこの「姉」だろう。

この映画の終盤、それ以前の展開からするとびっくりするくらい三人の関係が緊迫し、そして、緊縛したまま断ち切られるように終わる。あれっ、こんなだっけ、と思った。

月城まおらが植岡喜晴と仲良くすることをよく思わない山形育弘のモヤモヤが、月城の朝帰りで爆発する。とはいえ、この映画では、山形のモヤモヤのありようが、(苛立ったままの)山形と瀬木俊との対話によって、分析的に検討されるところが面白い。ミュージシャンである山形と瀬木は、幼馴染の月城の家で合宿し、曲を作り、練習しながら、同時に自分たちの作りつつある曲や練習のあり方について分析的に検討することを、普段からしている(音楽だけでなく、密造酒の作っている)。それが、この映画で描かれる主な事柄だ。同様に、自分から生まれたモヤモヤと嫉妬の感情をも、あたかも曲について検討するかのように(二人で対話的に)検討する。月城への感情が、月城へとは向かわずに対話へと向かい、対話相手へと向かう。とはいえ、ここで二人は冷静になっているわけではなく、明らかに感情的になって、互いに気が立っている。この分析的検討は功を奏さず、この二人(山形と瀬木)の感情的な対立は、翌日の練習にまで持ち越され、そしてそのまま映画は終わってしまう。

三人の人物たちの関係に、明らかな良くない徴候が現れたところで、その重さを切り裂くように、(月城から奪った)自転車を漕ぐ山形育弘のアップと歌が唐突に挿入され、次に、全てが終わった後であるかのように屋上で一人佇む月城まおらの場面で映画は終わる。

特にオチも結論もなく、月城の両親が研究旅行から帰ってくることで合宿は終わる、ということなのだが、最後の緊迫が解決することなく終わるのだなあ、と。これによって三人の関係が破綻するとか、それほど大きなことではないが、しかしモヤッとしたまま終わる。すごい不思議な終わり方だ。

●クリスマス(若い人にはもう元ネタがわからないかもしれない)。

恋人はサイコパス Lover is a psychopath 作詞:絵恋ちゃん 作曲:中村友則 編曲:中村友則 - YouTube