●とても近い過去(この一週間くらいの間)に、映画作品をひとつ完成させたという確かな手応えを伴う記憶があるのだが、その記憶が、他の記憶との間に整合性をもたない。つまり、この一週間の出来事を思い浮かべてみても、その流れのなかに「映画を完成させる」という余地はない。させられるはずがない。それが位置づけられ得る時間軸上の場所がない。この記憶だけ孤立して出来事の流れからはじき出されている。しかし記憶ははっきりある。自分の過去を検索するように、パソコンで日記を読み返してみるのだが(この場所は、バックパッカーたちが雑魚寝するような宿舎とネットカフェの中間のようなスペースだった)、どこにも、映画を完成させたとか、撮影中だとかいう記述はない。では、この記憶は何なのか。納得のいく仕事が出来たという、この手応えは何なのか。という夢をみた。
●おそらく同じ宿舎だと思われる。コインシャワーを使っていたら、そこで知り合った男(中山秀征に似ている)に「こっちにちゃんとした風呂がある」と誘われ、隅にある、ぎしぎしと軋む、暗くて湿った木戸をひらくと、思いの外立派な、プールのような湯船があった。湯に浸かってみると、そこは風呂というより池のようで、湯は土色に濁り、男女入り交じった多くの沐浴の客たちでごった返していた(その時は既に屋外のようだった)。指先にちくりという痛みを感じて掌を見ると、細いテグスの先に結びつけられた小さな釣り針(?型)があり、それが指先にひっかかるように刺さっていた。テグスを辿って見ると湯船-池の外で釣り竿から釣り糸を垂らしている男がいた。こんなに人が多い場所で危ないだろうと思い、男の方へ抗議の視線を向けると、釣り糸を垂らしているのがその男一人ではないことに気づいた。そして、無数の男たちの垂らす無数のテグスの先についている釣り針のすべてが、いつの間にか自分のからだのそこここに刺さっていることにも気づいた。その釣り針はきわめて小さくて細いので、皮膚の一番表面の薄い皮にひっかかっているだけだから、それまで気づくことがなかったのだろう。しかし、少しでもからだを動かすと、動きに応じて、テグスで引っ張られる部分の針が肉に食い込んで、電気信号のような鋭くて細い痛みがはしる。別の動きをすると、別の部分が食い込んで、からだの別の経路に痛みがはしる。その釣り針の数はあまりに多くて、ひとつひとつ外してゆくことなどまったく考えられないと思われた。男たちは特に悪意がある風でもなく、こちらにはまったく関心がないようだった。こんなところで、身動きがとれなくなってしまうなんて思ってもみないことだった。
●木造の古いアパートへ引っ越ししたようだった。弟夫婦が手伝いに来てくれていた。しかし、その弟夫婦は、概念としては確かに弟夫婦なのだが、実際の弟夫婦とはまったく別人だった。その点は、夢のなかでも意識されていた。弟だけど別人だ、と。