●以下は、今日、書いたもの。次の小説のメモ。
●姉の右腕をわたしは痛い。姉の右腕を、わたしは左腕に痛い。あの男が姉の右腕を掴んで引っ張るからだ。
わたしが夜中にベッドで目覚めるときにいつもどこかで戸が開く物音がする。音で目覚めるのではなくて目覚めると音がする。姉とあの男が二人でこっそり家のなかで何かを探しているのだ。真っ暗でも明かりは灯さずに。姉はその男のことを弟と呼ぶ。姉から弟と呼ばれる男はわたしには見えない。見えない男は姉の手を取って暗闇で姉を導く。わたしは息を潜めて気配を探る。親密そうな話し声が聞こえる気がする。しかし何を言っているかまでは聞き取れないし気のせいでないという確信もない。ただ足音は聞こえる。
その足音が消える。二人は階段を上りはじめたのだ。男には暗闇は何ほどのこともないが、姉を気遣って一歩一歩確かめるようにゆっくり足を出すので足音が途切れる。その間も二人の話し声はつづく。いや、親密さがざわめきのようにわたしに届くだけかもしれない。古い木造の階段はそれを踏んだ多くの足たちによってすり減っていて、緩いカーブで中央に向かってわずかな凹みがあって滑りやすい。足音は消えたが木の軋む音はたつ。トン、トンと打つような足音と、ギシッと響く軋みとでは音の伝わりが違う。軋みは家そのものを震わせ響かせる。
外は大雪で、雪がすべてを覆い隠すほどに積もっていると想像してみる。そんなはずがないことは知っているが、外から来る音を遮断したいためにそう考えることにする。雪に包まれたときの音の無さは零というよりマイナスで、圧の差によって聴くという行為が耳から引っ張り出され、からだの周囲にまで這いだしてしまうようになる。家全体がわたしの耳の内側になる。姉は裸足だが男は靴下を履いているはず。先ほどの足音からわたしはそう判断する。
兄さん! 姉はその男が兄さんにそっくりだと言うんだ。まるで恋人の話をするかのように男の話をする。しかしまだほんの子供なのだと言う。そんな男はどこにもいないじゃないとわたしが言うとき姉は悲しそうな顔をする。右腕の、肘のあたりにすっと視線をむける。姉にとって弟ならばわたしにとっても弟であるはずだ。でも姉は、あなたには関係ない、この子はわたしの弟なのだからと言う。そして右腕を肩を抱くような形にする。