●書いている小説の一部。
≪壁の獣は目を閉じ、雨の音を聞きながらゆっくりと大きな呼吸を繰り返す。わたしと彼が去って真っ暗になった部屋のなかで、その呼吸にあわせて壁がゆっくりと膨らみ、ゆっくりと凹む。獣は、草原を移動する何万頭もの群れのうちの一頭だ。来る日も来る日も、何週間も、何カ月も、獣の群れは草原を移動しつづける。そもそも獣には週や月という感覚はない。赤道に近い草原では季節による変化も小さい。獣には旅立ち(出発)という概念も目的地(終点)という概念もない。しかし、過去という感覚がないわけではない。草原を移動しづける獣は、草原を移動している今とは少しずれた場所にある、草原を移動していた別の時間があることを感じている。移動していた別の時間は、移動している今よりも少し遠いところにあり、そして、少し厚い感じがする。近くて薄いものと遠くて厚いものの二重映しのイメージのなかで、何かに急き立てられるように獣は移動している。二重映しの層のずれから、時折ふと、なつかしさや、疲労感、倦怠感、寂寞感、底なしのとりとめのなさへの恐怖といった感情の萌芽が浮かんでよぎることもある。しかし感情はすぐに流れ去り、それは、目が見ている空を飛ぶ茶色い鳥が飛び去ってゆくのとかわりなく、何も残さず留まることはない。獣は流れ去ってゆく感情をここに結びつけておく術を知らない。今、四つの脚を動かしているリズムがあり、背後にはかつて脚を動かしていたリズムの集積の残留が響いている。背後のリズムのなかからたちあがるこちらを見る目を感じる。リズムは何万頭分の足音がたてる地響きから自律している。そのリズムのなかで、足もとの草の緑の濃淡が変化し、空の色が変化し、風向きが変化し、胃のなかの食物の量が変化し、気温や湿度がかすかに変わり、群れの方向が変化する。まとわりつく虫を尻尾が追い払うことは意識にのぼらない。何万もの心臓の鼓動があり、呼吸の繰り返しがある。生臭い息が吐かれる。獣は、今より少し遠い過去よりもさらに遠くに雨の音を聞いている。それは遠くから確かに聞こえている。雨もまた獣の足音を聞く。獣はまだ雨を知らないし、この先に知ることもないが、雨の音は獣を知っている。その音に獣は含まれている。≫