●紙の箱のようなアパートに住んでいる。そして、大きな絵は、ガラス戸を取り外して出し入れしなくてはいけないので、一階に住むことになる。木造の壁の薄いアパートだと音はほぼ筒抜けになる。しかし、ずっとそんなところに住んでいるので、そのこと自体は慣れればどうってこともない。隣から聞こえてくる音は、たんに「音」であり、極端な騒音でなければそれほど気にはならない。むしろ「外」からの音のほうがなまなましい。鳥の声がうるさくて目覚めることがしばしばあるし、アパートの前で横になっていた猫が顔を上げる時の鈴のかすかな「チリ」という音がよく聞こえる(隣との境だけでなく、外壁もとても薄い)。周りに住宅しかなくて、それくらい静かなところだということもあるけど。
しかし、上の階からの音は、音というより衝撃であり、そして同時に気配でもある。今、上の階は年配の男性の一人暮らしだから、特に暴れたり騒いだりはしない(その前は子供が二人いる夫婦だったので、子供が走り回る音が衝撃波として常に上から降ってきていた)。それでも、紙の箱のような建物なので、上の人が移動すると、足音と床の軋む音で、今、どの位置からどの位置に移動したのかが分かってしまう。特に乱暴にどたどた歩くというわけではないにしても。むしろ、静かな所作だからこそ、人が存在する気配がなまなましく感じられる。まあ、そういうこともそれなりに慣れはするのだが。
夕方、これからも作業をつづけようと思い、少しの間眠っておこうと思う。しかし、頭が興奮しているのでなかなか眠りに入っていけなくて、半分眠って半分起きているような状態で、断片的で強烈な夢と現実の間をふらふらしている。そのような時、部屋のなかにもう一人人がいて、ゆっくりと移動しつつ、ふう、と息をついているというような気配を、かなりはっきりと感じることがある。その息をつく気配が、とてもくっきりと鮮明に感じられる。なぜ人がいるのかと思い、目を覚まさなくてはと思うのだが、意識は眠りの方に強く引っ張られてしまう。意識が覚醒の方に近づくと、もう一人の気配は希薄になってゆく。
おそらく、眠りと覚醒の間にいることで、周囲の気配を感じる感覚が妙に鋭くなってしまって、上の人が部屋のなかを移動する気配だけでなく、息をつくような気配まで感知してしまうのではないかと思う。