●夢のなかで、会社のオフィスにいた。窓に近いデスクで、窓は三分の一くらい開かれ、雨が上がったばかりのような青い空が見えている。ビルの四階か五階くらいの高さの感じ。窓の外から、競うように鳴き合う甲高い小鳥の声が入ってくる。鳴き声は、ずっと前から聴こえていて、これからも途切れることなく続くかのように納まる気配がない。前の席にいる人が、「あの鳥の声、デヴィッド・フィンチャーデヴィッド・フィンチャーって鳴いているように聞こえません?」と言う。目を覚ますと、夢のなかで聴こえていたのとまったく同じ鳥の鳴き声が聴こえていた。あー、あの音が夢のなかでも鳴っていたのか、と思う。気持ちがよいので、目が覚め切らないうちにもう一度眠りに入る。夢のオフィスで、ぼくは用事でどこかへ出かけるようだった。部屋を出て、エレベーターまで移動する途中で、ドアが開いている部屋があり、なかをふと覗いてみたら、大勢の子供が集まって笛のようなものを吹いている。ああ、あれは小鳥の鳴き声ではなかったのか、と思う。ふたたび目が覚めても、まだ鳥の声はつづいていた。
●郵便物を出すために、土日でも窓口が開いている郵便局まで歩く。片道三十分くらい。近くのコンビニでメール便で出してもよいのだが、まあ、最近、そっちの方向へ散歩していなかったから、というのが主な理由。途中、小さな丘全体が森林公園になっている場所があるのだが(住宅街のなかにぼこっとある)、そこの緑の濃さを見て、ああ、もう夏だと思った。二日前はあんなに寒かったのだが。
作品のなかに、散歩する感じを出すにはどうしたらよいのかということは、もうずっと考えている。というか、散歩するように経験される作品とはどういうものか、と。下の写真は、空間そのものを示すだけでなく、そのなかを移動する感じを出せないかと思って、六枚中四枚に、歩く人の後ろ姿が映り込んでいる。