2023/03/05

●十二年前に思いつきで書き出し部分だけを書いて、そのまま放置してあった小説の書き出しの、その続きを書いた。

furuyatoshihiro.hatenablog.com

十二年前にそこで途切れていた文の後に、ふと思いついて《気づくと男は立っていた》と書き加えたら、その続きが書けた。このまま、もっと先まで書き続けられるだろうか。

 

 自分が十四歳ではないことに気づいてしまった動揺とともに目覚めて、それをまだ事実として受け入れられないうちに最初に目に入ったのはクレーンに吊るされた巨大な木の板だった。板は真ん中が四角くくりぬかれていて、それは窓だとすぐさま直感された。それが窓だということになれば板は壁であり、自動的に、壁のこちら側が内側となり向こう側が外側だということになるはずだ。窓からは空が見えた。クレーンに吊られた板が風にあおられて空中でくるっと反転したが、それでもまだこちら側が内で向こう側が外であるという確信は変わらない。こちら側はこちらだから内なのだ。

 

 ここ三十年の間ずっと十四歳だったのに目覚めたとたんに四十四歳になってしまっていた。三十年間つづいた十四歳は終わってしまった。いやたんに終わったのではなく、目覚めたとたんにそれがはじめから無かったものとなってしまった。そんなはずはないが、そうだとしか思えない。記憶をたどってみれば昨日も確かに四十四歳として暮らしていた。しかし記憶など嘘くさくて信用する気になれない。いきなり四十四歳になってしまったという虚を突かれたような感覚の強さこそが信じるに足る。だいいち、今見えているもの(クレーンに吊られた窓とその向こうの空)は、昨日の、眠る前の、四十四歳だった記憶とは繋がらない。四十四歳であった昨日の記憶によれば、その前の日やさらにその前の日とかわらず、自室のベッドで眠りについたはずだ。

 

 クレーンに吊られているとはいえ窓と壁があるのだから、その内側であるここは室内で、それを自室であると言い張ることもできる。だが、男が横たわっているのはベッドではなく砂の上だった。いや、上というより半分砂に埋まっていた。クレーンに吊られた板がゆっくりと降りてくる。男はそれを視線で追って半分砂に埋まっている頭部をゆっくり横へ倒した。窓の先には海が見えた。それがきっかけであるかのように波の音が耳に届くのだ。男は、自分のからだが思い通りに動くかどうか確かめるために砂に埋まった左手をグーにして右手をチョキにする。巨大な板が完全に砂浜に着地すると、中央に空いた四角い穴の先に人の姿があった。海を背景にしたその人は、デスクの前に座り事務仕事をしているように見える。電話をしているらしく口をぱくぱくさせているのが見える。ああそうか、と男は気づく。内側は向こうだったのだ。ならば、いつまでもこんなところで寝ているわけにはいかない。

 

 視線を窓から外してひねっていた首をまっすぐに戻すと空が見える。グーとチョキにしていた手をとものパーに直し、砂に埋まった両腕を空に向かって突き立てると視界に入ってくる手はちゃんとパーになっているはずだ。そして両腕を振り下ろす力の反動を利用して上半身を起こすのだ。男は、横たわって首をひねって窓とその内側の人を見たままの姿勢で、自分の行動をそのように思い描く。そう考えただけで既に上半身を起こした気になってしまう男は、しばらくして、自分が横になったままであることを発見して驚くことになるだろう。本来ならば起き上がっているはずの自分自身に置いて行かれた、遅れをとった。そして、空は雲ひとつないが日の光はそれほど強くはなく、あたたかい砂に埋まって波の音を聞いているのが心地よいから、できればこのまま再び眠ってしまいたいという力が作用して行動が妨害されているのだと考える。だが、ここが外であると分かった以上、そのような誘惑に負けるわけにはいかない。気づくと男は立っていた。

 

 立ち上がったとはいえまだ膝下まで砂に埋まっている足を引き摺り出し、不安定な砂の上を一歩、二歩歩きだすと、四歩目に前に出した右脚の膝が重さを支え切れず、崩れるように前に倒れた。十四歳のときに通っていた中学が、防波堤の向こうの、道路を一本隔てたそのすぐ先にはあるはずだった。海岸線と平行して二棟ある校舎の海側校舎の三階の教室で、机に突っ伏すようにして、そのときわたしは眠っていた。窓際の席には雲ひとつないがそれほど強くはない日の光が程よくあたって暖かく、ぬるま湯の微睡の中にいたわたしは、平穏からいきなり騒然へと湧きあがる教室の空気の圧の変化に肌を擦られて目覚めさせられる。窓から見える防波堤のすぐ先の砂浜で、ついさっままで、眠り込んでしまう前まで、海の家の解体作業をしていたはずのクレーンが、今は横転して、半ば砂浜に埋まっているのが見えた。教室には教師の姿はなく、生徒たちの喧騒が沈静されることはない。そういえば目覚める直前の夢で、何かがゆっくりと崩れるように砂浜に倒れていく様を見ていた気がする。しかしそれはとても緩慢で静かに進行するできごとで、眠っていたとはいえ、クレーン転倒に伴うはずの轟音と振動にまったく気づかず、その残響さえからだのどこにも残っていないことをわたしは訝しむ。

 

 わたしは、と、頭から砂に突っ込むように倒れ込んだ男は思う。確かに、ついさっき、目覚めるまでは十四歳だった。しかし今ではもう、昨日の晩も四十四歳だった記憶を持つ四十四歳の男だ。壁(板)の向こう側、窓からその中が見えるオフィスは、わたしが週に五日通う労働の場がそっくり再現されているようだ。わたしの上司の小柄な女性がウォーターサーバーの大きなボトルを担ぎ上げ、よいしょっと言ってくるっと回転させてサーバーにセットするのが見える。普段はわたしがすることだが、わたしがまだ出社していないので仕方なく彼女がやったのだ。コップに水を注ぐと、ゴボッと音を立てて泡が下から上へと向かう。上司がシャツの腕捲りをもとに戻しながらデスクへと戻っていくのを目にして、わたしはオフィスへと電話をかける。電話をとる上司を窓越しに見て、体調不良のため今日は休ませてほしいと告げる。わたしがこのオフィスで上司と二人で仕事を始めてからもうすぐ八年になるはずだが、そのような状況や来歴自体がつい今しがた成立したとしかわたしには思えない。覚束ない足取りでどうにか歩を進め、砂浜を出たあたりでわたしの背後で轟音があり一瞬遅れて地面が震え、反射的に振り向くとクレーンが横転していた。クレーン同様に横倒しとなった板(壁)の向こう側に、もうオフィスは存在していない。ついさっきのわたしはまだ三階の教室で眠っているので、すべてが見える位置にいたにもかかわらず、この場面をまったく見ていはないのだ。

 

 オフィスでわたしの電話を受けた上司は、声に背後からまといつく波音によりわたしの仮病をすぐさま察したが、それについてわたしに何も言わないまま電話を切った。上司は、ウォーターサーバーから汲んだコップの水を机の上にあるドリンキングバードの頭部に含ませる。水を吸い込んだドリンキングバードの頭部表面は気化熱によって冷やされ、頭部の気温低下は頭部内部の圧力を低下させ、圧力の差が腹部に溜まっている塩化メチレンの液体を頭部へと引き上げる。引き上げられた液体は腹部と頭部の間の管を上って、重さのバランスが崩れ、鳥は頭をゆらゆらと揺らしはじめる。液体が頭部に到達して腹部との重さが逆転すると、ドリンキングバードは頭部の重みでコトンと体を倒す。鳥は水を飲む。倒れた瞬間に頭部と腹部との圧力差が慣らされ液体は再びすべて腹部に戻る。水に触れることで頭部は再び冷やされる(以下繰り返す)。

(つづく…)