●『ユリ熊嵐』第9話。そうきたか。前回ぼくが立てた予測は大きく外れたわけだけど、傑作の予感の漂うなかなかすごい展開。それにしても、ここへ来て新キャラ登場(大木蝶子)とは。そして、銀子は常に介抱されるキャラなのか。純花はもう、これ以上の役割はないのだろうか。
●あの雪の風景が「友達の扉」の場所なのだとすれば、銀子が子供時代の紅羽と出会ったのも「友達の扉」だったということになる。それは、日常と地続きの場所ではないようだ。そして、そこで蜜子と会うということは、月と森の間にある友達の扉というのは、死と生の間にある領域であるようだ。ならば、瀕死のユリーカが紅羽の母の姿を見た執務室もまた、(ユリーカにとっての)友達の扉といえるのかもしれない。
生と死の中間に位置する友達の扉で、銀子は、かつては生の側から来た紅羽に出会い、今度は死の側から来た蜜子に出会ったということなのだろうか(ここで蜜子はゾンビのように死なない「構造」なのだろう)。
●ユリーカにとって、自分と紅羽の母の関係を破壊したのは紅羽(の誕生)であった。そして、銀子にとって、自分と紅羽の関係を破壊した(ように感じられた)のは純花であった。愛の対象が自分から別の者へと移動してしまった時にどうするのか。ここにユリーカと銀子の同型性がみられる。そして、彼女たちが相手のスキに固執するのは、その人が自分を「見つけてくれた」からだという。純花もまた、紅羽によって「見つけられた」存在だ。ならばここで「見つけた」側の欲望はどうなっているのだろうか。この作品で、紅羽の母や紅羽の欲望のあり様は、まだよく見えてきていない。
(紅羽はなぜ純花が「スキ」なのか。紅羽は、純花が排除の儀の時に自分を庇ったことを知っているのか? 紅羽は、瀕死の銀子や、純花の髪留めを、ただ、たまたま「見つけてしまった」ということなのだろうか。)
(あるいは、「見つけた」側について描いているのは「ピンドラ」なのかもしれない。りんごは、様々な迂回の果てに晶馬を「見つける」のだし、その晶馬は、子供ブロイラーで陽毬を「見つける」。見つけられた側の陽毬のキャラの掘り下げは弱かったと言えるので、今度はそっちから攻めているのかも。だから、銀子と陽毬は同じ声優なのか。)
●ユリーカにとっての紅羽、銀子にとっての純花という「邪魔な存在」は、るるにとっての弟という形で、既にプロトタイプが示されていた。さらに、るるの失った蜜壷を「見つけた」のが銀子であるという形で、「見つけてくれた存在」も示されていた(るるとの関係において銀子は「見つけた」側に属するが、ここでも銀子が「どのようにして見つけたのか」は示されない)。とはいえ、るるのお話においては、「邪魔な存在(弟)」こそが、「失った重要なもの」であった。このねじれは、今後効いてくるのだろうか。
嵐が丘学園という壮大な罠で紅羽を陥れようとするユリーカ(ユリーカ-紅羽の母-紅羽の関係)。純花を見殺しにする銀子(銀子-紅羽-純花の関係)。そして、銀子の「罪」を紅羽にバラするる(るる-銀子-紅羽の関係)。同様の関係は、針島-蜜子-紅羽にもみられるとも言える。スキを実現するために第三者を排除するという、この同型の三角関係(わたし-スキ-邪魔者)が世代や個人を超えて様々なところに反復的に認められる再帰的構造といえる。これはつまり、同じ人物でも関係性のなかでの位置がかわれば役割(行動や欲望)が変化するということだろう。銀子-紅羽-純花の関係において「スキ」の位置にいる紅羽は、ユリーカ-紅羽の母-紅羽の関係では「邪魔者」に位置するし、銀子-紅羽-純花の関係においては「(欲望の主体としての)わたし」に位置する銀子は、るる-銀子-紅羽の関係においては「(欲望の対象としての)スキ」に位置する。銀子は、自分が紅羽をスキなのと同じように、るるが銀子をスキなのだということを考慮しない。というか(それを知っていたとしても)構造的に考慮できない。
ただここで、紅羽(とその母)は、欲望の主体としての「わたし」の位置を占めることがない。確かに紅羽は、純花(と母)のために銀子を排除したので三角関係があるようにも見える。しかしこれは、欲望をめぐる三角関係ではなく、銀子が母を殺し、純花を見殺しにしたと紅羽が思っているからだ。銀子が「邪魔者」だとしても、それは、純花や母のスキを奪う誘惑者ではなく、たんに殺人者ということだ。つまり、排除は自分の欲望のためではなく、純花や母のためだという言い訳が成立する。紅羽だけが、自分の欲望の醜さ(罪)に直面することを免れている。
●紅羽の母の絵本では、友達の扉の場所には鏡があって二つの世界を隔てていた。鏡には相手ではなく自分が写っている。再帰的に反復する構造を破るにはこの鏡を破壊する必要があるようだ。銀子はともかく、自分の欲望が写っている鏡のところまではたどり着き、それを自覚して受け入れた。しかし、紅羽はまだ鏡にまでも到達していない。
今後、この紅羽が、欲望の主体としてどのように目覚めるのか(喪失した記憶はどうなっているのか)、紅羽の欲望(罪)がどのような形になってあらわれてくるのだろうか。
●紅羽を襲い、自らの内に取り込もうとしていたユリーカを、撃ち殺し、紅羽を救った(つまりユリーカの目的を阻んだ)のは、ユリーカ自身がつくった排除システムを忠実に実行する蝶子であった、という皮肉。
●ところで、今回はじめてこの作品に男性(男性の欲望)があらわれたと言えるのではないか。ライフセクシーが、保健室で女生徒同士が性的なことをしているのを双眼鏡で覗いている。女性たちによる、愛と欲望と嫉妬と憎しみの物語のなかで、それを外側から享楽として覗き見している男性の欲望というのが、この物語のなかに「あってもいい」というのはけっこう驚きだった(そういえば彼らジャッジする男たちは、るるのお話の回で、るるに近づこうとして蜂によって拒絶されていたので、近づきたいという欲望はあると言えるのか)。