ティム・バートン『チャーリーとチョコレート工場』

ティム・バートンチャーリーとチョコレート工場』をDVDで。現在のハリウッドで大きな予算の作品を作をつくることの困難がモロに出てしまっているように思う。どこからも文句が出ないようにいろいろと言い訳を仕掛けているうちに、一体何がやりたかったのか分からない中途半端なものになってしまった、という感じ。当然、一番やりたかったのはチョコレート工場(とウォンカというキャラクター)の描写なのだろうけど、その部分にしたって、夢のあるファンタジーを期待してきた家族連れを嫌な気持ちにさせる程度の「悪意ある描写」にとどまってしまっているし(それだったらいっそ、本当に「夢のある(毒のない)ファンタジー」にしてしまえばもっと思いっきりやれただろうに、と思う)、その中途半端な「悪意」を取り繕うための終盤のエピソードは、取って付けたようなバカバカしいものだし(例えば『ビッグ・フィッシュ』での「父との和解」と、この映画の取って付けた言い訳みたいなそれとは、全く意味が違うだろう)、そのバカバカしいエピソードとの繋がりをつけるために、せっかくのチョコレート工場の描写がウォンカの回想でブツブツと途切れてしまう。(むしろ、少年時代のウォンカの話こそを、ティム・バートンはやりたいのではないか、とも思う。)それに、序盤の、チョコレート工場に招待される子供たちが決まるまでの展開も説明的でかったるい。(ここはチャーリーの家族の描写だけでサラッと流した方がよかったのではないだろうか。確かにチャーリーの家族の描写は面白い。でも、普通「貧乏」というのは、ゴミゴミしていて治安の悪い、狭い場所で生活することを強いられることなわけで、家はボロくても、あんなにゆったりとしたスペースで暮らせるだけで、ある程度は裕福なんじゃん、と思ってしまう。)しかし、そういういくつもの欠点などより、ぼくがこの映画で嫌いなのはチャーリーの善人面で、こいつは拾った金で何の躊躇もなくチョコレートを買いに行くような奴なのに、なんであんなに「良い子です」みたいな顔が出来るのか。(チャーリーがウォンカに対して、家族と会えなくなるなら工場はいらないと言う時のチャーリーの「顔」のショットが特に耐え難い。ティム・バートンがこんなショットを撮るのか、と思った。)五人の子供たちのなかで最もたちが悪いのは間違いなくチャーリーではないか。ウォンカがこんなガキを好きなわけ(継承者に選ぶわけ)ないじゃん、と思ってしまう。