長谷川等伯の「松林図屏風」を観に、上野の東京国立博物館へ行った。東京国立博物館には一日居ても足りないくらいに観るものがいっぱいあって、ぶらぶらと観ているうちにすぐに閉館時間になってしまう。客層もけっこう多彩で、まあ、いかにも博物館にいそうな中高年のおっちゃんやおばちゃんが大半で、外国人が多いのも分りやすいのだが、すごいボリュームの銀メッシュ頭の、昔ヤマンバ系とか言われていたような感じの女の子が一人で陶器に見入っていたり、高校生くらいのカップルがいちゃいちゃしながら浮世絵を観ていたりもする。ぼくは東洋館がとても好きで、必ず立ち寄るのだけど、ここに置かれている古代エジプトのミイラの前に、危ない感じの女性がずっと貼り付いていて、時々、目を覆うようにしてしゃがみ込んだりもしながら、ぶつぶつと独り言をつぶやきつづけていた。
東洋館を観ていたら、どうしても、ブリジストン美術館の古代美術のコーナーにあるエジプトの彫刻が観たくなったので、閉館後、東京駅へと向かった。
●一枚の絵画は、決して一枚の写真やひとつのショットのように、一つの視点から出来ているものではない。そこにはほとんど常に、複数の視点が埋め込まれていて、だからあえていえばそれは「一枚」だけで、何枚もの写真のコラージュのようなものであり、複数のショットがモンタージュされたものとしてある。何枚ものスケッチをアトリエにおいて「合成して」つくられる古典的な絵画は勿論のこと、単純に写生する時でさえ、描いている間(描くという行為を通して)、画家の頭部が動かない(視点がブレない)などということはあり得ない。一枚の絵のなかには、トラベリングもパンもトラックアップもクローズアップも同時に含まれている。だから例えばフーコーが、マネについての講演で(マネの新しさを「言説の上で」強調するために意図的にであろうが)、クアトロチェント以降の古典的絵画について次のように言うのは、過度な単純化というよりむしろ、はっきりと間違いだと言うべきだと思う。
《クワトロチェント以来、絵画は、そこからのみ絵を観ることができ、また観なければならないようなひとつの理想的な鑑賞位置を決定していたのです。こうして、こう言ってよければタブローの物質性、長方形かつ平坦で、何らかの光によって現実的に照らされていて、その前や周りで人が移動することが出来る表面、そうしたすべては絵そのものの中に表象されているものによって覆い隠され、かわされていたのです。》
《あらゆる古典的な絵画は、線や遠近法や消失点などのシステムによって、鑑賞者と画家に対して、何らかの確乎とした、固定的で不動の場所を措定していたのであり、その場所から光景が見られることになっていたのでした。それゆえ、タブローを観ながら、どこからその絵が見られているのか、上からか下からか、斜めからか正面からなのか、ということがよく分るのです。》(『マネの絵画』阿部崇・訳)
例えばピエール・フランカステルは、上記のフーコーとはまったく逆のことを書いていて、そっちの方がずっと正確だと思う。
《クアトロチェントが世界の遠景をよびさますために用いた無数の手法を分類しようとするとき、結局は最後にきわ立って優勢な二つの方法があったことがたしかめられると思う。一方で芸術家たちは、巨大な広がりに対してある選ばれた、そして適切に配置されたいくつかの面に還元される----しかし遠近法のまったく勝手な非現実的扱いをしながら----一つの光景を与え、他方では特別に一つもしくは二つの重要なモチーフを取りげ、それらを風景内部の相互にはなれた部分の断片的眺めとして、前景の諸要素の間に挿入し、それによって何ら大きさや寸法上の共通な図像的原基も導入せず、そのいずれの場合にも、炯眼な鑑賞者の想像力に知的な統一性の確立されることを求めたのである。》
《(...)たとえばマンテーニャの《磔刑図》のあの「迫真的な」すばらしい風景が親しみ深い明瞭な性格をそなえているのも、それは、いまもなおあらゆるアカデミが教えているように、いわゆる正確な線遠近法を通じて各部分をそれぞれの「ふさわしい場所に」位置づけたからではないのである。そうではなくて、逆に彼は造形面上に、興味と魅力の点からえらばれたごくわずかな要素しか表現しなかったからである。》(『絵画と社会』大島清次・訳)