●ここ、二週間くらい、テレビをまったく観ていないことに、今日、きまぐれにテレビをつけてみた時に気づいた。午前中、ぼんやりするか、ちょっと制作するかして、午後からはずっと閉店時間まで喫茶店にいて、本を読んだり、書き物をしたりして、夜中に帰って、食事したらすぐ寝るという生活がずっとつづいていて、テレビを観る時間がない(DVDは二本くらい観た)。だから、イギリス人講師殺害事件の容疑者が捕まったことも、山の中に女性の死体がバラバラに放置されていた事件のことも、関係した男が何故か次々不審死しているという女性の存在も、今日までまったく知らなかった。日記を更新する時にネットはみているから、レヴィ・ストロースや森繁が亡くなったことや、松井がワールドシリーズでMVPを獲得したことは知っていたけど。アパートの部屋から喫茶店までの道のりと、帰りに寄る午前零時までやっているスーパーが、最近のぼくにとっての外界のほとんどすべてで、散歩すらろくに出来ていない。
少なくとも十一月に入ってからは、1日まるまる休んだ日はまったくない。ここ一ヶ月くらいを考えても、まる1日何の「仕事(制作することとは別の、約束があって期限があって対価のある「仕事」)」もしなかったのは、十月三十一日に武蔵美の芸祭に行った日くらいしか憶えがない(この日は夕方から終電近くまでずっと呑んでいた)。友人の展覧会のオープニングに行った日も、磯崎さんに寿司をごちそうしてもらった日も、出かける直前まで書き物をしていたし、電車のなかでも本に書き込みをしていた。しかも、これから年末に向けて、今まで以上に忙しくなる予定なのだった。こんなに勤勉に働いているのに、何故、口座に残高がほとんど残っていないのか。いや、勤勉だと言えるほど忙しいのはせいぜいここ一、二ヶ月くらいのことで、忙しいとか余裕がないということの一番の原因は、ぼくが本や文章を読むのが異様に遅いということにあるのだが。展覧会や映画や演劇になかなか行けないのは、お金がないことも勿論あるけど、時間がない、あるいは心に余裕がないというのが大きな原因なのだった。ふらっとどこかへ出かけるということが出来てない。あと、描くとか、書くモードにある時は、どうしてもそれ以外のことに目がいかなくなってしまうということもある。しかし実は、そういう時こそ、ぶらぶらする感じをなくしてはいけないはずなのだ。
とても充実しているようにも思えるし、時間もない余裕もないお金もない八方ふさがり的状況に呑み込まれて道を踏み外しているようにも思える。どちらなのか、よく解らない。こういう時には少なくとも、いわゆる(対他的に約束がある)「仕事」と関係のない、自分の関心やきまぐれにまかせて選んだを本を読む時間くらいは、ちゃんと確保しておかないと、間違った方向へ流れてしまう気がする。というか、散歩に行こう。