●新宿へ。それにしても、新宿のツタヤに今までいったいいくら延滞料を払ったのだろうかと思う。DVD『まどか☆マギカ』一巻はすべてレンタル中だった(テレビで偶然、最後の二話分を観られたけど『トップをねらえ2』みたいであまり新鮮味はなかったのだが…)。紀伊國屋に寄って文庫を二冊買った。
●『ばかのハコ船』(山下敦弘)。前に観た時よりも面白く感じた。でも、やはり「あかじる」っていうアイデアが、ネタとしてしか面白くなくて、映画として面白くなるものとは思えなかった。ただ、昨日も書いたけど、山下敦弘には描写的な側面と同時にネタ的な側面があって、ぼくはそのネタ的な側面それ自身はあまり面白いとは思えないのだけど(例えば「その男狂棒に突き」とか…)、でも、ネタ的な側面が強くあることが、描写的な側面に独自の効果を波及させているように思えて、そのへんのバランスのなんとも微妙な感じは不思議で面白いと思う。最後に唐突に「弟」が出てくるところは、おおっと驚き、このセンスはすばらしいなと思った。
「尾崎充」というキャラも、『ばかのハコ船』のやつは受け入れられても、「その男狂棒に突き」にまでなるとちょっときつい。しかしこれはそもそもきっついくらいでなければ面白くないのだが…。尾崎充のシャレんなんなさが、例えば『松ケ根乱射事件』のシャレんなんなさと繋がっていることは確かだと思う。「その男…」のラストはあまりにシリアス(リアル)かつ不謹慎で、その「見てられない」感じは、『松ケ根…』の川越美和の全裸の「見てられない」感じに近い。
「その男…」の流れでは、どうしたって最後にはあのラストに行き着くほかなくて、でも、それはきっと正しいけど、面白くはない。山下敦弘の容赦のない正確さはさすがだと思うけど、でも、むしろ、その正しさ=リアルさにどのように抗えるのか、というところに面白さ(それとは別のリアルさ)が出てくるのではないだろうか。ネタ的(あるあるネタ的)リアルさが面白くないのは、きっとそれが「たんに正しい」だけだからではないか、と思った。