●46歳になった。
●『009 RE:CYBORG』(神山健治)をDVDで。これはダメなんじゃないか。『東のエデン』の後にどうくるのかという期待があって観たのだけど……。社会派として始まった話が途中でセカイ系みたいになっちゃうというのは最もダメなパターンなのではないだろうか。だから新興宗教のPR映画みたいに見えてしまう。
主人公が「テロリスト」の側にいるという始まり方には「おっ」と思ってかなり期待が盛り上がっただけに、その分、後のがっかり感が一層大きくなってしまった。立ち上がりの、「009を現代において成立させるための設定」という部分は面白いのでまず期待するのだけど、その後の展開が、安易と言うか拙速というか、面白い話の展開を思いつかなかったから、途中で神を出して神に全て預けちゃったみたいに感じられてしまう。テロリストたちが「彼の声」に従うというアイデアは面白いし、それが神とか超自我(の両義性)みたいなところに落とし込まれるのは、まあ、ありがちとはいえ「なし」ではないと思う。でも、それが出てくる過程が思いっきり端折られていて、そんな雑な説明だけで済ませてしまうのか、というようなものになってしまっている。具体的な話と壮大な話がつながっていないというか、つなぎ方が雑というか、現実の世界情勢を反映するような複雑な設定のなかに「神」を持ち出すとしたら、そのためには、もっと複雑な過程とか、あるいは驚くようなハッタリとかが必要なのではないだろうか。これでは、積みあげたものを途中で放棄して途中から別のことをはじめている、みたいになってしまっている(いや、だって「攻殻…」だったらこんな雑な短絡しないでしょ、とか思う)。
それに、「天使」のイメージがあまり面白くない。例えば「エヴァ」のリリスとかなら、それに付与される様々な理屈が稚拙であったり後づけ的なご都合主義であったりしても、「あのイメージ」を見せられるだけで納得してしまうような力があると思うけど(あれだけのイメージは他になかなかないけど)、この作品の天使のイメージは、イメージとしてのインパクトだけで物語全体を支える(あるいは、神とか「彼の声」とか言われているものを裏打ちする)だけの質も強さもない。というか、そもそもそういう「インパクトで勝負」みたいな作風でもないのだから、そこにそれなりに説得力のある理屈が付与されないと、安易な意味での象徴みたいになってしまう(それに、「少女」のイメージの使い方も安易と言うか、あまりに紋切り型だと思う)。設定というところだけ取り出すと説得力があり密度もあるのだけど、それが、神=脳自身による脳の自己言及みたいなアイデアと絡んでないし、アイデアの展開が不十分だと思う。設定部分だけで力尽きているという感じ。
というか、100分強程度の作品で出来ることは限られているから、いろいろあったアイデアをごっそりボツにして、話をシンプルにして派手なアクションと画像の密度で押し切る方向にしたということなのかもしれない(例えば途中で二人がいなくなってしまう意味がほとんどないのだけど、ここにもっと何かあったのでは、とか思ったりはする)、でも、だったら社会派的な設定もいらないからもっとスッパリとした話で…、ということになるのではないか。結末にしても、これでは、主人公がテーマを大声で叫んだ後でみんなが一緒に海に(夕日に)向かって走り出す、みたいな結末とそんなに変わらないのではないか。
社会派的な主題が追究されているわけでもなく、(押井守的な?)自己言及的な主題が追究さているわけでもなく、どっちつかずで、どちらもすかすかになってしまっている感じ。
●ただ、劇場公開を前提に制作されるアニメの難しさというのはあると思う。100分程度で何かを語り切らなければいけない難しさもあるし、アニメで劇場公開となるとどうしても、既に有名な作品(ゲームやテレビアニメも含め)を原作として持つか、かつてのヒット作のリメイクという形か、そうではなれば(オリジナルにこだわるのなら)ファミリー層向けの作品という形にするのか、どれかになってしまうという傾向があるように思う。それは大きな枷で、そのなかでやらなければいけないという息苦しさは、作品にも出てしまうように思う。そういう息苦しさを「009」からは強く感じてしまった。